なんていうか、
ボクの敏感な所に触れたらしく、
本筋外の記述に対して
ひたすら突っかかっていく感想。
本記事を2行でまとめると
- ボクの現状は悲惨なんかじゃないよ
- ボクは「働く」って言葉が嫌いだよ
以上。
本の概要的ななにか
人生80年から
人生100年になると言われてるけど、
定年は60歳から
せいぜい65歳までにしか伸びてない。
なので単純に考えると
定年後の人生が15年延びることになる。
こうなったときに
- 身体が動かない
- お金がない
- 人とのつながりがない
のどれか、
あるいは全てを満たしてしまうと
せっかく15年も延びた余生が
ただ「生きてるだけ」状態で
終わりかねない。
そうならないように
今からできることをやっていこう。
その「今からできること」とは、、、
っていう感じの本。
基本的に既知情報だった。
ボクの現状は”悲惨”だった?
ボクが理解する本書の主張
上述の「身体、お金、つながり」の中で
特に「お金、つながり」に関しては
働く
っていうことが推奨されている。
マジかよ...
このことに対する
本書の主張としては、
『年金生活/資産切り崩し生活
に甘んじてしまうと
どうしても
小さくまとまった生活
になってしまうので
人生から活力が失われる。
でも
働いていれば
金銭的な自由が増えるので
お金を理由に行動を躊躇うことが減るし、
働く過程で多かれ少なかれ
人とかかわるので孤立しない。
また
働き方によっては
外出が必要になるので
身体も劣化しにくい。』
ということだと理解した。
これらについては納得できる。
主張を補足する”非推奨例”が、まんまボクの現状だった
その「働くべきだ」という
主張を補足するための非推奨例として、
働かず資産が減る一方
↓
図書館やスポーツセンターなど
お金がかからず暇が潰せるところに集まる
↓
窮屈で不自由、悲惨
とか、
より直接的に
早く仕事をやめて楽になりたいと
思っている人は、
それが本当に自分にとって
幸せなことなのか
もう一度考え直してほしい
とか書かれている。
ってこの例、
まんまボクの現状じゃん(笑)
幸せになるために仕事を辞めたんですけど、、、
“ボクの最善”が”悲惨”と書かれる理由
ボクは在職時代の生活が
まさしく本書で言うところの
「生きてるだけ」状態
だと思ったから、
そこから脱出して
自分の人生を始めるために退職した。
それが2022年2月の出来事。
そこから今まで約1年間、
かつてないくらい
幸せな時間を過ごしているんだけど、
その生活がこの本では
”悲惨”と書かれている。
これを読んだときは
思わず「マジかよ」と
思ったんだけど、
別に著者はボクの選択を真っ向から
否定しているわけじゃなくて、
この認識のズレは
- 時間軸の違い
- “働く”という言葉の定義の違い
によるものなのかなぁ、と。
退職は”ただの逃避”な可能性
本書のテーマが不老長寿であり、
人生100年時代をどう生きるか?
という点を軸にしているので、
本書が見ている時間は
「人生(=死ぬまで)」というスパン。
それに対して
「退職することで手に入った生活」が
ボクに幸せを与えてくれる時間は
(少なくとも1年は与えてくれているけど)
未知数。
なので
時間経過とともに
幸せが先細りして
いずれ”悲惨”と感じられるように
なる可能性がある。
つまり
「退職」は短期的には最善手だけど
長期的には一時しのぎでしかなく、
その生活を続けると
結局ジリ貧(=悲惨)になる
ということかと。
流行りの言葉を使って言い換えると、
「退職して得られる幸せ」は
持続可能(サスティナブル)ではない、
っていうことになるのかな?
本書には「働く」のネガティブ面が触れられていない疑惑
ボクは
「(所属していた会社で)働いていたこと」を
「虚無(生きてるだけ)」だと
思っている節がある。
なんだかんだ11年いたから得るものはあったけど...
ところが
本書を読んでいると、
「働くこと」が
とてもポジティブに書かれていて、
「働くこと」が嫌で仕方がない
ボクのような人がいることを
あまり考慮していないように思えた。
ボクは
著者自身のことは全然知らないんだけど、
ひょっとしたら著者は
「自己実現のために会社を利用してきた」
みたいな感じで「ポジティブに働く」を
地で行くタイプの人なので
働くことに不幸を感じている人の存在を
信じていないのかもしれない。
しらんけど
あるいは
「働くことが身体、金、つながりを
維持する最善の選択だ」
という結論に着地させるために
「働くこと」の
ネガティブ面をあえて無視して
ポジティブ面だけに
触れているのかもしれない。
しらんけど
だから気軽に(?)
「働くこと」を推奨していて、
それができない生活を”悲惨”と
言い切っているのかな、と。
この場合、言い切ることによるリスクは少ないもんね
あるいは
実は本書にその辺のことが
書かれているにもかかわらず
ボクが読み飛ばして
文句を言っているだけかもしれない。
これが一番可能性ありそう(笑)
いずれにせよ、
「働くこと」のポジティブ面を見ると
- お金がもらえるし
- 人と接する機会が生まれる
ことによって
余生を充実させるのに
役立つっていうことと、
「働くこと」を止めたら
「お金」と「人とのつながり」から
遠のくということは理解できる。
実際今のボクがそうだから
著者は以上のことから
「働くこと」をせずに
節約生活をしている人のことを
”悲惨”と表現したんだろう。
今のボクには賛成できないけど。
「人生は攻略できる」に核心が書かれていた
”悲惨”についてはもういいとして、
上述のように
「働くこと」に対して
忌避感にを覚えている
ボクのような人にとっては
この本に出てくる「働くこと」に
引っ掛かりを覚えると思うんだけど、
以前読んだ
「人生は攻略できる」では
本書と同様の結論に着地させつつも
「働く」に対する忌避感を抱かなかったな、
と思い出した。
「人生は攻略できる」曰く、
『幸せになるには
- 仕事
- お金
- 人とのつながり
が必要で、具体的には
- 好き/得意なことを仕事にして
- 経済合理的に行動して
- 親友少数と浅く広い知人多数を作る
といいですよ』
とのこと。
本書が「働く」の一言で
片づけていることを
「人生は攻略できる」では
ちゃんと
「好き/得意なことを仕事にする」
という風に条件を書いてくれているので
こちらはすんなり腹落ちできた。
なんていうか、
幅広い読者を想定して本書くのって
大変なんだなぁ~
今は”悲惨”な現状を楽しもう
ちょっと話が脱線したけど、
本書の主張には一理あって、
ボクが退職によって得た幸せは
一時しのぎに過ぎなくて、
長期的に見ると最善とは
言えないのかもしれない。
たしかに
今のボクは資産切り崩し節約生活だし、
人との接触はほとんどなくなったしね。
とはいえ、
退職して幸せになったのは間違いないし、
退職して1年経った今も
幸せを感じ続けているのも事実。
なので本書では”悲惨”と書かれていた
ボクの”現状”だけど、
ボクが幸せと感じているうちは
この生活を楽しんでいたいと思う。
そもそも
本書の主張がボクには
当てはまらない可能性もあるわけだし。
「お金」「人とのつながり」があれば働かなくてもよい
本書のアドバイスに従うとすると、
“悲惨”な状況下にいるボクが
今後目指すべきは
「お金」と「人とのつながり」を
確保すること。
これについては
なんだか正しそうな気がする。
そして
本書ではそれらを確保する手段に
「働くこと」を推奨している。
これについては
今のボクには賛成しかねる。
ってことで
正しそうな意見と賛成しかねる意見の
ハイブリット案を考えると
単純な答えが見えてくる。
「お金」と「つながり」があれば
別に「働く」必要なくね?
これはちょっと
言葉遊びというか戯言というか、
「働く」という言葉に対する
ボクの勝手な認識に過ぎないんだけど、
ボクにとって
「働く」というのは
「嫌なことする対価にお金を得ること」
であって、
「嫌じゃないことをし続けた結果
お金がもらえる状況」
を「働く」とは考えていない
ということ。
端的に言うと、
働かずに
(「人生は攻略できる」で書かれていた)
「好き/得意なことを仕事に」すればよい
ということ。
補足するなら
「嫌じゃない/苦手じゃないことを仕事に」
すればいい。
...あれ?
「人生は攻略できる」を読んでいれば
本書を読まなくてもよかったんじゃね?
いや、
同じことを別表現で
インプットできたから
「幸せに生きること」についての
知識に厚みができたのでヨシ!
ボクの現状に対する
斬新な評価があることを
知れたというのもあるし。
まとめ
本書「あなたの状況、悲惨ですよ」
ボク「そんなことありませんよ」
本書「働くといいよ」
ボク「嫌だよ」
本書曰く、
『人生100年時代で
延びてしまった余生を楽しむには
「健康、お金、人とのつながり」が必要で、
後者2つに対しては
定年後も「働く」ことが大切である。』
本書曰く、
『定年後働かずに
人と関わらず貯金を切り崩すような生活は
”悲惨”である。』
ボクの現状は本書的には”悲惨”であるが、
主観的には決して”悲惨”ではない。
現状を”悲惨”と感じるようになっても、
ボクが忌避する「働く」以外の手段で
「お金、人とのつながり」が得られるなら
別に「働く」必要はない。
「働く」ではなく
「好き/得意なことを仕事にする」
という表現が個人的にしっくりくる。
ボクはもう二度と「働き」たくない。
それでは~
コメント