うっかり寝そびれて
就寝時間が朝の6時になってしまった。
起きたのは13時。
「スタンフォード式 最高の睡眠」
によると、
いつも寝る時間の2時間前から
いつも寝る時間までが一番眠りにくい
とのこと。
つまり就寝時間は後ろにズレやすく
前倒ししにくいということ。
さもありなんという感じ。
今週中に朝型に戻したい所存。
今日の買い物 食費:395円
- 牛乳
- 卵
- スナック
牛乳と卵は昨日買うつもりだったんだけど
売り切れていたので今日改めて購入。
昨日売り切れていなければ
今日スナック(68円)を買わなくて済んだ。
ここ節約ポイント。
買うのを我慢するのではなく、
買う機会を奪う。
そのためには
「売り切れで後日改めて買いに行く」
機会は極力なくすべき。
今回の場合、
売り切れていたのは
店に行くのが遅かったからで、
店に行くのが遅かったのは
ボクが日没後にしか外出しないから。
日没後にしか外出しないのは
日差しが暑かったからで、
今はもう暑くないので
日没前に外出しない理由がない。
ということで
買い物はもっと早い時間に行きましょう。
モデルの役割とは?
藤井美穂さんという
プラスサイズモデル*をしている人の
記事を読んで、
モデルの役割について考えたので
妄想を垂れ流してみる。
*プラスサイズモデル
主にプラスサイズ服の着用に従事している平均より大きい身長(しばしば体重超過か肥満)のモデルに適用される用語
wikipediaより一部抜粋
どうやら日本には
プラスサイズモデルの需要が
(少)ないらしい。
ボクはそれは単純に
プラスサイズの人が日本に少ないから
だと思っているので、
記事の内容が日本の国民性に飛んでも
「ふーん」って感じなんだけど、
そもそも(日本の?)
ファッションモデルの役割って
なんだか歪んでるのでは?
と思い始めた。
ボクの思っていたモデルの役割
とりあえずファッション誌で話を進める。
ボクの思っている
ファッション誌のモデルの役割は
「読者がその服を着たら自分がどうなるか
をイメージするためのアイコン」
だと思っている。
だから
- 赤ちゃん服は赤ちゃんモデルが着る
- 子供服は子供モデルが着る
- プラスサイズ服はプラスサイズモデルが着る
のが本来の役割だと思う。
そうしないと
着たときのイメージがしにくいから。
でも(ボクが把握している)実際は
なぜかモデルが全員欧米人だったり、
”読者モデル”と呼ばれる人達は
大抵外見が平均よりも整っていたりする。
つまり、
ファッション誌には
理想の体型(外見)の人が
その服を着た写真が載っていて
自分が着たときのイメージがしにくく、
ボクが考えるモデルの役割を
果たしていない。
というか
イメージしにくいばかりか、
自分がその服を着たときをイメージすると
雑誌よりも見栄えが劣っていることが
容易に想像できるので
購入意欲が失せると思うんだけど、
多分そうはなっていないっぽい。
(ちなみにボクはそうなります)
なんでだろう?
ボクの考えるモデルの役割が
実際とはズレてるんだろうな、きっと。
マネキンじゃなくてモデルである理由
そもそもモデルの役割が
「読者がその服を着たら自分がどうなるか
をイメージするためのアイコン」
だとしたら
モデルなんか不要で全部マネキンに
着せればいいじゃん。
そうなっていないのは、
マネキンにはなくてモデルには存在する
役割があるということ。
なんでマネキンじゃダメでモデルなんだ?
モデルとマネキンの違いって何だろう?
- マネキンは人間ではない
- モデルは人間
っていうのは間違いない。
ここから考えると
ファッション誌にマネキンでなく
モデルが載っている理由は
「人間と服はセットで見るべきもので、
マネキンと服の組み合わせだと
違和感が生じてしまうから」
っていうのはあるかも。
要するに
「人間の着るものは人間が着たほうがいい」
ということ。
他の違いとしては
- マネキンは低コスト
- モデルは高コスト
っていうのも多分間違いない。
この点だけ見るとモデルは不要だけど、
そうなっていないのはやっぱり
上述の通り「人間が着ている」
ことが重要なんだよな、きっと。
ファッションショーで
ランウェイにベルトコンベアが敷かれて
その上をマネキンが流れていくっていう
状況は想像できない。
回転寿司か!
あ、でもファッションショーじゃなくて
服のセット販売の手法の一つとかでなら
そういう状況が想像できなくもないぞ。
ひょっとして
どこかでもうやってたりして。
モデルは外見の整った人が多い理由
話が逸れたが、
ファッション誌やショーに
マネキンでなくモデルが
採用されているのは
「人間が着るものは人間が着ている」
ほうがいいからである、
というのがボクの結論。
なんか当たり前だ。
そうなってくると今度は
「モデルには外見の整った人が多い理由」
がわからない。
きっと冒頭の記事の
「日本にプラスサイズモデルの需要がない」
っていうのも
この疑問とつながっているはず。
前述の通り、
自分がその服を着たときの
イメージのし易さから言えば、
ビジュアル特化のモデルより
平均的なビジュアルのモデルの方が
いいと思うんだけど、
そうはなっていないっぽい。
これは単純に
「綺麗なものを見たい」
「綺麗じゃないものは見たくない」
ってことなのかな?
そこには
「自分が着たらどうなるか」
という考えはもはや存在していない、と。
だったら
別に人間じゃなくて今流行のAIで
イケメンモデルを作っちゃえば
リアルモデルの必要、なくない?
追記
とか思ってたら本当にAIモデルサービスがあった(笑)
コスト最大7割カットとのこと。
これはモデルさん涙目というやつでは?
...あ、わかったかもしれない。
結論:モデルの役割は舞台装置
これまでモデル、マネキンを主体に
考えていたけどそうじゃなくて、
服が主体なんだ。
モデルの役割は
「”服”を一番よく見せるための舞台装置」
というのがボクの現在の結論。
この定義ならこれまでの疑問が解消される。
更に言うと
「一番よく見せる」って言うのは
「服のデザイン」に対してであって、
サイズの視点はないのでは?
そして
「あるデザインの服」の見栄えが
一番よくなる(ようにデザインされた)
サイズがいわゆる「理想的な体型」サイズ
なのでは?
プラスサイズが「一番よく」なるように
デザインされた服が(少)ないから
プラスサイズモデルの需要が無いのでは?
もし
同じデザインの服の各サイズを
いろんな体型のモデルが着るっていう
ファッション誌が存在しないのであれば、
これらの想像は結構いい線行ってる
と言ってもいいのではないでしょうか。
とはいえ
これが合ってるかどうかはどうでもいい。
考えて矛盾のない(ように感じる)結論が
出せたので満足。
スッキリしたのでおしまい。
それでは~
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