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【本の感想】「当たり」本【我慢して生きるほど人生は長くない】

〇本の感想
〇本の感想

何度も何度も読んだ、
「自分時間を生きろ」的な本。

今後は
未知の分野の本を広く浅く読もう
と最近決めたんだけど(↓)、

本書は
それ以前に図書館で
予約した本なので
ノーカウント。
ちなみに予約中の本はあと11冊

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概要

本書の概要(と言えるであろう部分)を引用。

「この本では、みなさんに、「他人の価値観やルール」「他人の感情」「他人に奪われる時間」を手放し、「自分の価値観やルール」「自分の感情」「自分の時間」を発見し取り戻すための方法をお伝えしたいと思います。
それはつまり、他人によって必要以上に我慢させられることなく、真に自分らしく生きて行くための方法であるともいえます。」

p.18

というわけで本書は
「自分時間を生きろ」的な本。

内容の大筋は
類似本と同じで既知情報なんだけど、
挙げられている事例に
刺さる部分が多く、
類似本よりも好印象だった。

ボクなりに
雑に本書をまとめると

  • 自己肯定感を鍛えろ → 他人が作った謎ルールの呪いにかかってない?
  • 不快な要素を捨てろ/離れろ → なんでわざわざ不快を受け入れてるの?
  • 社会性は失うな → 好き放題やると「迷惑な人」になるよ?

ってところ。

我慢して生きるほど人生は長くない [ 鈴木裕介 ]
created by Rinker

ボクの解釈&学び

本書を読んで
ボクが解釈したことを書いていく。
※本書の主張に沿っているとは限らない

生きづらい理由(社会的要因/環境的要因)

生きづらくなる理由として、

社会が豊かになる

選択肢が増える&暇になる

王道が無くなって道に迷う
&健全な暇つぶしが見つからない

SNSで強制的に他人の(まやかしの)キラキラ人生を見せつけられる

自分と比較する

自分が劣っていると感じ、鬱になる

損して得取れの逆が続く(目前の面倒を回避するためにもっと面倒くさいことを背負うようになる)

更に鬱が進む

以下負のループ

っていう
大きなところから来るものと、

定期的に会う人/置かれた環境から精神的スリップダメージを受け続ける

鬱になる

以下同様

っていう
身の回りからくるものがある。

タイトルにある
「我慢」が発生するのは
主に後者っぽいけど、
いずれにせよ
このループに乗ってしまうと
生きづらくなる。

生きづらさ解消には、ラインオーバーという概念が役立つ

この負のループから
解放されるには、
他人ルールではなく
自分ルールで生きればよい。

自分ルールで生きるとは、
自分でコントロールできる範囲に注力し、
コントロールできない範囲のことは
気にしないこと。

本書では
この範囲の境界を超えることを
「ラインオーバー」と呼んでいて、

  • 自分からラインオーバーしない方法
  • 他人にラインオーバーさせない方法

について色々書かれている。

自分からラインオーバーしない

自分から
ラインオーバーするっていうのは
他人のルールで生きること、
あるいは
自分から不快に足を突っ込むこと
ともいえる。

例えば

  • 「やりたいことがあるのはいいこと」という世間の風潮(=他人の決めたルール)を信じて、やりたいことがない自分に絶望する
  • 行きたくない飲み会に行く
  • SNSの炎上案件を見に行って感情移入する

とかが該当する。

ラインオーバー特効:高い自己肯定感

人が感知する
すべての出来事は
「事実→解釈」から
成り立っている
ので、
言ってしまえば
解釈次第でどうにでもなる。

この解釈を
ポジティブに(自分に都合よく)
持って行くのが
「自己肯定感が高い」ってやつ。

自己肯定感が低いと

世間(=他人ルール)に認められない=自分は無価値

他人ルールでに認められたい!


他人ルールまっしぐら

になりがちだから、
自己肯定感を高めましょう
っていう話。

高い自己肯定感っていうのは
極論として、
社会性を著しく失わない限り(後述)
何でもかんでも
自分の行動や判断に対して
「すごい、えらい」と
肯定してあげればよく、
肯定できないことは
人生から
切り捨てていけばいい。

切り捨てる手間を
惜しんでいると
スリップダメージが
かさむばかりか、
ある時いきなり
痛恨の一撃を貰い
一撃ダウンしてしまう
ことになりかねない。

以上が
生きづらさの原因の一つである
自分からラインオーバーしちゃうこと
を防ぐためのアレコレ。

他人にラインオーバーさせない

ここからは
他人にラインオーバーされる
ことに対する対策について。

ラインオーバーしてくる人
っていうのは、
雑に言うと
本来本人にしか
決められないことを
勝手に決めてくる人

のこと。

更に雑に言うと、
いろいろ押しつけ/決めつけてくる人。

例を挙げるとこんな感じ↓

  • 飲み会でとりあえず「ごちそうさまです」とか言ってくる人
  • 旅行or出張に行くことを察知すると、「じゃあお土産よろしく」とか言ってくる人
  • 「お前って〇〇だよね~」とか言ってくる人

これらは極端な例だけど、
これら場合
「奢るかどうか/土産を買ってくるか/自分が〇〇かどうか」
について、
本来決める権利の無い人が
(少なくとも言葉の上では)
勝手に決めている点が
ラインオーバーになる。

さすがにこの例は
ラインに敏感過ぎかもだけど、
「そういう発言で不快になる」のは
自分ルール(感情)に基づく反応で、
それは他人ルールで
矯正されるようなものではない。

ただ当然相手側にも同じ事が言えて、
たとえば
「お土産よろしく」発言は
挨拶みたいなものだと
思っている人
からしたら、
それで不快になるような相手を
避けた方が良い、ということにもなる。
これは「自分からラインオーバーしない」の例になる

他人の言動は縛れない

このように
他人の言動は
自分でコントロールできる範囲外
だから、
他人にラインオーバーさせない
っていうのは難しい。

なので対策は
ラインオーバーしてくる人を
避けるっていうのが基本
になる。

ただ
現実的には避けられない
ケースが多々ある
ので、
だからこそ
本書にはいろいろな
対処法が書かれている。

書かれているんだけど、
その内容はココでは触れない。
今のボクの生活にでは避けることが簡単だから

なにごともやり過ぎはよくない

「自分のルールで生きる」
っていうのは、
解釈を誤ると
単にわがままに生きること、
自分勝手に生きることになってしまい、
それでは社会性を損なってしまう。
当然両者は異なる

いくら自分ルールで生きて
生きづらさから解消されても、
その結果
他人に自分のルールを
押し付けたり
少しでも不快な人/環境を
回避していたのでは、
自分自身が
ラインオーバーをする人に
なってしまったり、
いろんなものを避け過ぎて
社会性が著しく損なわれたりしてしまう。

理想は
そうならずに自分ルールで生きることで、
結局「バランスよく」って話に着地する。

言い換えると
ラインオーバーしたりされたりしない
フェアな人間関係の中で
生きることが理想ということ。

そういう意味では、
上述の「ごちそうさまです」発言を
した人を避けるというのは
どちらかと言えば
社会性を損なう側の行為になのかな?
よくわからん

ただ、
自分が弱っているときは
緊急対応として
バランスなんか関係なく、
不快なことからは

何でもかんでも避けた方が良い。

まとめ

以上をまとめると、
冒頭に書いた

  • 自己肯定感を鍛えろ → 他人が作った謎ルールの呪いにかかってない?
  • 不快な要素を捨てろ/離れろ → なんでわざわざ不快を受け入れてるの?
  • 社会性は失うな → 好き放題やると「迷惑な人」になるよ?

ってことになるかと。

我慢して生きるほど人生は長くない [ 鈴木裕介 ]
created by Rinker

感想

本書を受けての感想。

自分語り成分多め。

ボクの生き方は社会性が欠けてるかも?

ボクは無所属の
一人暮らしなので、
今のボクの生活には
ラインオーバーしてくる人どころか
他人との関り自体が少ない。

これは
ラインオーバーに関わる
メンタル消耗回避の観点だけなら
満点だと思う。
(※他人との関わりによるメンタル回復要素はない)

ただ懸念されるのが、
これが冒頭の
生きづらくなる理由チャートにおける
「損して得取れの逆」なのでは?
ということ。

つまり、
人付き合いを避けることが
今はプラスに働いている
(正確にはマイナス要素が取り除かれている)けど、
将来
人との関わりが必要になった時に
それが無くて辛くならないか?
という一抹の不安が残る。
以前から懸念している


と言ってもその不安は
(今は)無視できるレベルだから、
このまま目先のストレス回避
努めようと思う。

実績獲得:ミッドライフクライシス突破

本書を読んで、
ミッドライフクライシス
という概念を初めて知った。

これは
人生の後半に差し掛かって
これまでの生き方に疑問を持ったり
価値がないと感じたりと、
自分の人生の在り方や意味を
問いたださずにいられなくなる状態

のことらしい。

ボクは
幸運にも?30代で
ミッドライフクライシスに陥り、
結果として
自分にとって楽な方向(=退職)に
舵を切ることができた
と言える。

早めに気づいて&修正できて
よかった!

どうでもいいけど、
日本語だと「中年危機」でかなりダサいな(笑)

しっくりくる表現に出会えた

本書に書かれていた
以下の考え方が
ボクの状況を表す
ヒントとしてとても役に立った↓。

「会社や社会のルールを、自分の中にある程度インストールしておく」というのは、会社や社会の中で生きのびていくためには、ある程度有用なことです。
しかし、それらをフルインストールして自分の価値観を完全に上書きし、人生のコントロール権を手放してしまうのは考えものです。」

pp. 109-110

要は
脳をPCに例える
っていうだけのことなんだけど、
この単純な例えが
ボクには思い浮かばなかった。

入社 → 常駐「仕事アプリ」インストール → 常時CPU使用率80%超え

この例えに則ると、
ボクの場合は
入社と共に「仕事アプリ」が
フルインストールされてしまい、
厄介なことにボクにとって

そのアプリは常駐で、
しかもCPU使用率が滅茶苦茶高い
ということになる。

その結果、
何をしてても
仕事がチラつくので、

公私の切り替えが
できなくなってしまった。

海外旅行だけが仕事アプリのCPU使用率を下げられる

唯一
公私の切り替えができていた
(ように思えた)のが
長期休暇の海外旅行中。

それは何故かと言うと、
異文化に一人という
常時落ち着けない環境にいるので
仕事のことを
考えてる暇がない
から。

それと
周囲に仕事を思わせるもの
(人種、言語、建物、食べ物含む「いつもの環境」)
何一つない
から。

つまり
海外旅行中は
優先度の高い
海外旅行アプリの使用率が
上がるとともに
仕事アプリのCPU使用率を
上げる要素がなくなるから、
常駐といえども
仕事アプリが目立たなくなって、
それが見かけ上「公→私の切替」
になっていたということかと。

でも
仕事アプリは常駐なので、
旅行が終わった
帰りの飛行機では
海外旅行アプリが
フェードアウトしていくと共に
周囲に日本人(仕事を思い思わせる要素)が多い
ということも相まって
常駐の仕事アプリが
稼働率を上げ始め、

その結果
「このまま飛行機が落ちればいいのに」
という絶望感/この世の終わり感を
抱かせる、と。

在職時、
長期休暇の度に
海外(主にヨーロッパ)に
行ってたんだけど、
その行動と精神が
この例えで
上手く説明できてる気がする。

退職 → 常駐「無職アプリ」インストール → 海外旅行不要に

さらに
この例えは、
退職後に一度も海外旅行に
行ってないことも説明ができる。

行ってない理由は
別に出費を渋ってるんじゃなくて、
特別行きたいと思わなかったから。

で、
なんで行きたいと
思わなくなったかというと、
言うまでも無く
仕事アプリをアンインストール
したから。

仕事アプリが無くなったので、
「仕事を忘れる」必要自体が無くなる。

なので、
「仕事を忘れられる」
唯一の手段である海外旅行にも
別に行かなくて良くなる、と。

つまり
ボクにとって海外旅行は
「それ自体を楽しむもの」
ではなく、
「仕事を忘れる手段」
に過ぎなかった

ということ。

20か国くらい行ったんだけど、
まさか逃避手段だったとは、、、

いや~

自分の言動が
けっこう綺麗に言語化できて
すごいすっきりした。

これに気付けただけでも
本書を読んで良かったと思う。

ボクはまだ「お金と我慢のトレード」の呪いにかかっている

本書には

「我慢は美徳という価値観が
インストールされている人は
楽してお金をもらうことに
罪悪感を抱きがちになる」

「給与はあなたの
時間/労働力/能力/生み出した価値に
対して支払われるものであり、
あなたがどれだけ苦労したか
我慢したかは一切関係がない」

とある。

ボクはこれらを
理屈では理解できてる
つもりなんだけど、
自分がいざ楽にお金をもらう
立場になると、
感情が上回って
すごいストレスがたまる。
我慢してお金を貰っている、ということ

実際
ボクが退職した理由の一つは
給料がボクの苦痛の対価としては安すぎで
成果の対価としては高すぎなことの矛盾
だし。

これこそ
上述の自己肯定感ってやつで、
ボクは自分のスキルの価値を
自覚した方が良い(良かった)

のかもしれない。

別の本の感想で
「値付けに関して自己肯定感が
高すぎるのは詐欺の始まり」

みたいなことを書いたけど、
ボクはその逆で
「値付けに関して自己肯定感が
低すぎるのはカモの始まり」

なのかも。

ていうか
こうやって書くことで
はっきりしてきたけど、
確実にカモだ(った)な、ボク。

ボクの認識としては
「我慢してお金をもらった」
ことしか記憶にないけど、
その裏で
沢山カモられてきたんだろうな。

この価値観を
いきなり変えるのは
難しいと思うけど、
少なくとも意識はするようにしよう。

サムネ/タイトル詐欺等が嫌いな理由もコレか

ひとつ
わかったかもしれないことがある。

ボクは

  • 売るために(良くもない)商品を褒めちぎるアフィリエイトブログ
  • クリックされるためのサムネ詐欺&タイトル詐欺
  • 売れてる先人のコピペレベルのパクリコンテンツ

といった
人を騙す要素が含まれるものが
大っ嫌い
なんだけど、
その理由も
「自分のコンテンツの価値に対する
自己肯定感が低いから」

と考えると納得できる。

つまり、
ボクが「騙す」と言っているのは
単にボクと

それらコンテンツ制作者間の、
コンテンツの価値に対する

自己肯定感のギャップに過ぎない
(のかもしれない)、ということ。

なので、
もしボクが
「価値の対価としてのお金」
という考えをインストールした上で
「自分の提供物に対する自己肯定感」
が向上すれば
ボクが大っ嫌いな上記行為も許容、
というか実践できるように
なるのかもしれない。

たぶんね

嫌いな理由と
その構造がわかった気に
なれてよかった。

でもまぁ、
そんなことを
許容/実践できるように
なっちゃうくらいなら
今の価値観のままでいいや

って言うのが今の本音。

悩みを書き出す → 解消される or 定着しちゃう

これまで読んできた本には

  • 悩みを書き出すと解消に役立つので、どんどん書き出せ
  • 日記を書くと内容が脳に定着するから、ネガティブなことは書くのを控えろ

という一見矛盾する
2パターンが書かれていて、
ボクは体感上後者を
採用していたんだけど、
本書を読んで
これらが矛盾しないことに気付いた。

つまり、

  • 漠然と悩んでるときは、それを書き出すと自分が何に悩んでるかがはっきりするから、悩み解決に役立つ
  • 悩みの内容が既にはっきりしているときは、それを書き出すと脳に定着してしまうから、書かない方が良い

ってことかと。

たぶん
よく読めば最初から
そう書いてあったはずなんだけど、
本書を読んで初めてこの違いに
思い至った。

なんだろ?

この著者の文章が
今のボクの感性に
たまたま合ってたってことなのかな?

こういうのが
たまにあるから、
既知分野の本の固め読みを
続けちゃうんだろうな。

既知分野の本を読むことについて(再確認)

既知分野の本を固め読みすると、
上述のように
既知概念を
ボクの感性にあった表現で
言語化してくれるモノとか、
今まで書かれてたはずなのに
認識できていなかったことに
気づかせてくれるモノがある。

これは
言ってみれば「当たり」で、
当たりを引けたときは
すごいお得な気分になる。

ただ当然、
その逆で
ただの劣化コピーと言っていい
「ハズレ」に出会うこともある。

こう考えると、
「当たり」を引いても
同分野の本である限り
主張の大筋は変わらないわけで、
そもそもの「当たり率」が
高くないことも考慮すると、
やっぱり未知の本を読んで
薄く広く新たな学びを得る方が、
なんていうかタイパがいいのかな?

これを書いてて、
当たりを引くのを期待して
同テーマ本を読み続けるのって、
ギャンブルにハマる構造と
似てる気がしてきた。

なんかこわいな

誰から見ても「劣化コピー」な作品は存在しない?

話を戻して、
さっき「劣化コピー」という
表現を使ったけど、
同じことを表現するにしても
人によって刺さる言葉が
違うんだから、
(コピペレベルで)同じことが

書いてある本が世に溢れてても、
それは何もおかしいことではない

ってことなのかな。

正直、
「なんでこんな他の本のコピペ本を
堂々と出版してるんだろう?」
と思うような本もあるけど、
これも上述の
「自分の作品に対する高い自己肯定感」
「価値の対価としてのお金」
という概念、
それと
「パクリだとしても
読者が最初に手に取った本なら
読者にとっては
それがオリジナルになる」

っていう現象を考慮すれば
納得できる気がしてきた。
正直「それどうなの?」って思うけど

、、、なんか話がさっきの
サムネ詐欺云々と似通ってきたので、
ここで感想を終えようと思う。

まとめ

  • 「我慢して生きるほど人生は長くない」を読んだ
  • 自己肯定感を鍛え、社会性を保ちつつ不快から離れることで、生きづらさを緩和することができるっぽい
  • 既に何度も読んだテーマで既知情報のはずなんだけど、新たな気づきが多かった
  • ただ、こういう体験はレアなので、未知テーマの本を浅く広く読んだ方がタイパは良さそう

繰り返すけど
本書はボクにとって
「当たり」だった。

ただ、
以前のような

読む

漠然と感想を抱く

特に何もせず次の本を読む

という読み方では
「当たり」にはなり得なくて、

読む

漠然と感想を抱く

感想を殴り書きする

それを読んで、なんでこんな感想を抱いたんだろ?と疑問に思う

その疑問に向き合いつつ、感想を清書する(=感想記事を書く)

思いもしなかったことに気づく

っていうプロセスを
踏んだからこそ
「当たり」になったんだと思う。

そういう意味では
ブログを書いてて
よかったと思う
し、
なにより
ブログを書く余裕のある
無職という状態であることが
最高だと思う。

無職最高!(挨拶)

我慢して生きるほど人生は長くない [ 鈴木裕介 ]
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