この感想記事を書いたことで、
以前読んだ本に書いてあった
読まれたいなら
(書きたいことじゃなくて)
読みたいことを書け
の意味する所が
体感できた気がする。
そういう意味で
読んでよかった本になった。
この記事(というかこのブログ)は、
ボクが書きたいことを書いてるだけだから
つまらないんだろうな。
概要
全6章、52節からなる
「書くこと」に関する
メリット&習慣ノウハウ紹介本。
ざっくりと
以下のような構成。
- いいから書こう、書ききろう
- 書くことを習慣にしてしまおう
- 書いたものが伝わる&読まれると、なお良い
- 書く/読まれることでいろんなメリットがあるよ
(著者の権威を振りかざして)
こうすれば成功できる!
的な書き方ではなく、
平凡な私でも
こういうことに
気をつけて書いてたら
色々いいことあったよ~
という文体なので、
著者のことを知らなくても
すんなり読めると思う。
内容の傾向
タイトルはシンプルに
「書く習慣」だけど、
「書く≒発信する」となっていて、
- 何を書いたらいいか
- どうすれば継続して書けるか
- どうすれば発信のハードルが下がるか
- 発信のメリットは何か
といった
アドバイスやが豊富で、
逆に
- 書いても意味が無いこと
- 書かない方がいいこと
といった
削る方向の内容は
ほとんど書かれていなかった。
むしろ削るとか考えずに書いて発信しろ!って感じ
まずは
書き始めないと
削ることもできないから
当たり前っちゃ
当たり前なんだけど、
ボクに必要なのは
後者だと自覚しているので、
少し残念だった。
とは言うものの
読後はしっかりと
書きたくなる気分に
させてくるので、
この手の本に対する需要は
満たしていると思う。
そういうこともあって、
本書は
書こうと思ってるけど
まだ書いていない人が
メインターゲット
なんじゃないかな。
気になる点もチラホラ
ただ、
「言わんとすることは
わかるけど、
その表現はなんか違くね?」
って感じる描写が
散見されたのは気になった。
そのことは本書でも
少し触れられていて、
論文じゃないんだから
全ての感情に根拠はいらない
みたいなことは書いてあった。
確かにその通りなんだけど、
感情以外の所でも
「ん?」って思うところがあり、
ボクの性格(職業病?)として
そういうところが
どうしても気になってしまう。
普段の感想記事なら自重して
そういう突っ込みは
かなりカットするんだけど、
この記事では
本書のアドバイスに従って
「文章の価値は
読者が判断することだから、
(自分で勝手に不要だと判断せず)
とりあえず
思ったことを書いて発信する」
方針でいってみようと思う。
刺さったフレーズ3選
本書で52個ある節
(トピック)の中で、
刺さったものを3つ挙げる。
ちなみにこの52個は巻末に
「書く習慣をつくる52のコツまとめ」として
コンパクトにまとめられている。
①「最後まで読み切ったら、秒で感想を書きましょう」
まずは本文からの引用を↓。
本には著者が書きたいことが凝縮されているので、著者にとっては「削っていい文章など一つもない」ようにできています。
pp.143-144
ですが読む人にとっては、心に残る部分もあれば、まったく刺さらない部分もありますよね?
(中略)
「これは!」と思った部分だけ印をつけ、(中略)最後まで読み切ったら、
秒で感想を書きましょう。
熱が冷める前に書いてしまえ
一番刺さったのは
「本の感想は読後すぐ書け」
ということ。
なぜ刺さったかと言うと、
本書のひとつ前に読んだ本は
4月に読み終わっていた
にもかかわらず、
ダラダラと感想を書くのを
先延ばししていたら
半月くらい経ってしまっていたから↓。
ボクの現状を
的確に突いてきたから、
文字通り一番刺さったというわけ。
なので
学びになったか?という軸では
そこまでのインパクトはない
とも言える。
そりゃ
さっさと書いてしまった方が
いいに越したことはないよね、くらい。
特に小説のように
こっちの感情に
働きかけてくる本の感想は、
その感情が静まらないうちに
書いてしまった方が
文に躍動感?臨場感?が乗って
いい感じになるんだろうな、
と思った。
鉄は熱いうちに打てってやつ。
あとは
感想を書くのを保留してると
頭の中のtodoリストの容量を
圧迫してストレスになる
っていうのも、
すぐ書いちゃった方が
いい理由になると思う。
すぐ書かない方がいい場合もあるかも?
でも一方で、
すぐ書かない方が
いいケースもあるのでは?
とも思った。
例えば
上述のFIREの本の場合、
読んだ直後は
実際に投稿した感想記事の
5倍くらいは
批判的な感想(突っ込み)が
多かったけど、
時間を置いたら(&文字にしたら)
「いや、言うほどそうでもなくね?」
ってなって
あの量に収まった。
なので
時間を空けたおかげで
自分の感想を
客観視できるようになって
要らないことを書かずに済んだ
と言えるんだけど、
これはメリットなのでは?
そもそも
そんなに批判的な感想
(というか突っ込み)が
湧いてくるのが異常
なのかもしれないけど、
湧いてきちゃうボクは
少し時間を置いた方がいいのかな、と。
かといって
客観性の向上は
感情の鎮静化と
トレードオフだと思うから、
前述の通り
感情に訴えかける系の本(小説)の
感想は読後秒で書いた方が良さそう。
結局はどういう感想にしたいか
なので
ボクなりに
本の感想の書き方、
というかタイミングを
まとめると、
- どんな本でも、読書中気になったことはその場でメモする
- 小説の場合、読後秒で書く
- ノウハウ本の場合、少し待って余計な熱を抜いてから書く
- いずれにせよ書くのを無駄に先延ばししない
って感じかな。
その場のメモで
んえあ衝動的に感じたことの断片は
記録しておき、
小説の場合は
「感情を揺さぶられたこと」が
感想の軸になるだろうから
その勢いのまま書き出し、
ノウハウ本/自己啓発本の場合は
「新たな知見や取り入れたいこと」が
感想の軸になるだろうから
小説とは違って
衝動的な突っ込みを減らすために
少し寝かせてから書く、
みたいな。
内容を素直に受け入れられない病
なんていうか、
本に書かれていることを
素直に吸収しようとせず、
自分の考えも曲げずに
通そうとするボクは
いくらノウハウ本を読んでも
成果が出ないタイプだと
我ながら思う。
だから仕事もできなかったんだよ>自分
反省の意味も含めて、
この記事は
読後間を置かず
一気に書ききってしまおうと思う。
②「本音を晒すほどリアルでオリジナルな文章になる」
2番目に刺さったのはこれ↑。
なぜ刺さったかと言うと、
これが
本書に書かれている内容の中で
自分にとって一番
都合のいい内容だったから(笑)
今の書き方にお墨付きをもらった気分
ボクは
このブログには
割と本音を(ダラダラと)
書いているつもりなので、
本書によれば
リアルでオリジナルな文章に
なっているはず。
、、、本当?(笑)
いや、
多分本当なんだろうけど、
それが読み手に
受け入れられるかは別
ってことか。
「オリジナルな文章」が「良い文章」とは限らない
本書では
本音で書くことによる
メリットとして、
本音を書くからこそ
読者は文章を通して
書き手の姿を見ることができ、
そこからいろんな何か
(仲間ができたり仕事につながったり)が
展開していく、
みたいな話が書かれている。
それはその通りだと思うし、
実際著者はそうだったんだと思う。
でも
これには
重要な前提が抜けていると思う。
そう、
文章を通して見えた
書き手の姿が魅力的な場合に限り、
それが波及してメリットになる
ということが。
書き手に魅力がなければ、本音で書いても魅力は無い
結局
書き手に魅力が(少)ない場合、
魅力的に見せるためには
なにかしら盛る必要がある
↓
盛る≒嘘を書く
↓
中長期で
書き手の文章を追うと歪みが生じる
↓
文章を通して見える
書き手の姿も歪んで見える
っていう風にならない?
考えすぎ?
「書き方」本の需要の根源がわかった気がする(気のせい)
そう考えると、
「書き方」の本に求められている
ことが見えてくる気がする。
これは妄想だけど、
「書き方」の本に
一定の需要があるのって
「自分は書けない」と思ってる人が
多いからだと思う。
ここで言う
「自分は書けない」
っていうのは
言葉が省略されすぎていて、
省略せずに書くと
「自分に魅力がないから
本音だけでは
(オリジナリティがあったとしても)
魅力のある文章が書けない」
っていうのが
「自分は書けない」の
高解像度表現なのでは?
だって
書くだけなら
頭の中で考えていることを
文字起こしするだけで
それはもう「書けてる」じゃん。
このブログ(ボク)はそういう意味では「書けてる」
「書けない」人が
そういう意味だとすると、
「書き方」本に必要な内容は
「本音で書け」「いいから書け」
とかではなく
「書き手が魅力的に見える
本音っぽい(でも本音ではない)
文章の書き方」
なのでは?
そうなると
本書の価値って、どうなの???
思ったことを書きだすとキリがない
いや、違うな。
そうやって
ごちゃごちゃ考えちゃって
書き出せない人に対して、
本書は
「いいからとりあえず本音を書いてみ?」と
書きはじめの第一歩の
背中を押してくれてるんだ。
本音を書いたことによる
デメリットを提示すると
それが書くことを躊躇わせる
原因になってしまうから、
デメリットは敢えて提示せずに。
そういう
「書かなくてこと」
「書くべきではないこと」
「書かない方がいいこと」
について
書かれている本ってあるのかな?
あったとして、
たぶん
「本筋からズレたことは書くな」
っていうことは
書かれてる気がする。
ちょっと探してみよう。
今この文がまさに
本筋から外れつつあり、
このまま書いていくと
どんどん発散(というか迷走)
しちゃうから、
この件についてはココでおしまい。
③「どんなに「ヘタクソ」でも結局は書いたもん勝ち」
3番目に刺さったのはこれ↑。
誰かにとっては
無価値なn番煎じでも、
別の誰かにとっては
価値ある新情報。
これが真理だとボクは思う。
同テーマの本を
固め読みしてると
本当にこれを感じる。
最近で
印象に残ってるテーマだと
論文に基づく健康系と
ミニマリスト系。
前者は
信頼性の高い出典論文数が
限られているから
同じことが書かれていて
当然な側面があるけど
(ていうかそれ以外がトンデモ本って言えるかと)、
後者は
「収斂進化だ」という
擁護もできないくらい
同じことが書かれている。
そういう本については
「なんでこんな本(失礼)が売れるんだ?」
って思うけど、
それの答えが前述の
誰かにとっては
無価値なn番煎じでも、
別の誰かにとっては
価値ある新情報
ってことかと。
あわよくば
この感想記事も
誰かにとっての価値に
なればいいんだけど、
どうなんだろ?
っていうか
そもそも読まれなければ
誰かの価値になんか
なりようがないわけで、
だからこそ本書には
「書く」だけじゃなくて
「読まれる」ことについても
触れられているんだろうな。
突っ込みどころ
ここまで一気に書いて
疲れちゃったので
突っ込みどころを書くのは
やめようかと思ったんだけど、
冒頭で「書く」って
書いちゃったから書こうと思う。
本書には52個の節があって、
個々の内容はごもっともで
参考になるんだけど、
全体で見ると
「あの節とこの節で矛盾してない?」
「言いたいことはわかるけど、なんか違くね?」
ってところがチラホラあって、
それらに対する
フォローが書かれていないのが
気になってしまった。
その例をいくつか挙げてみる。
「いい感じのまとめ」が文章をつまらなくする → 本当?本書は?
クソブログのまとめの
「いかがでしたか?」が
悪い例として挙げられていて
(死んでも使っちゃダメとまで書いてあった)、
無理やりいい感じのまとめにすると
文章が台無しになる、
みたいなことが書かれていた。
クソブログの
「いかがでしたか?」が
最悪であることは同意だけど、
それはまとめ以前の内容が
クソだからなわけで、
内容がちゃんとしていれば
「いかがでしたか?」が
まとめでもよくない?
「いい感じ」っていうのが
主観的表現だから
何とも言えないんだけど、
少なくともボクには
本書の第6章は
「いい感じのまとめ」だと思う。
でも
だから本書がつまらないか?
と言われたら
決してそんなことはない。
本書のまとめが
いい感じなのかそうでないのか、
理由をつけて示してほしかったな。
最後に「あなたはどう思う?」と議論の余地を与えてみる → クソブログの「いかがでしたか?」は最悪なのでは?
文章で共感を得るための
ポイントのひとつに
最後に「あなたはどう思う?」
と議論の余地を与えてみる
っていうのが挙げられてるけど、
それだと
クソブログの「いかがでしたか?」は
共感を得るポイントを押さえている
いい例ってことにならない?
ひとつの本の中で、
「いかがでしたか?」に対して
ある時は死んでも使うなと言い、
ある時はそれが推奨条件を満たしている。
当然文脈から
言わんとすることは
理解できるんだけど、
矛盾していることも
事実だと思う。
なので
この矛盾について
触れて(フォローして)
おいて欲しかった。
もしかして「敢えて突っ込みどころを残している」のでは?
そういった
矛盾や読者が
疑問に感じるであろう所に
全部フォローを入れると
文章が冗長になって
つまらなくなることは
容易に想像できる。
それこそ
論文じゃないんだから、
そのくらいの宙ぶらりん感は
むしろ読者に
本書に対する印象に残すための
フックとして効果的な気がする。
むしろ
敢えてそうしてる
まである気がしてきた。
すべての文章は「知るかボケ」前提で書く → ???
すべての文章は「知るかボケ」前提で書く
という節タイトルがある。
この節の趣旨は
相手は
自分が思ってる以上に何も知らない
という前提で書くとよい。
ということなんだけど、
これ、
なんかおかしくね?
ボクが
すべての文章は「知るかボケ」前提で書く
という節タイトルから
想像した内容は、
文章を全て説明すると
冗長になるから、
ある程度はわかる人だけが
わかればいい要素を残した方が
オリジナリティがあるし、
わかる人に
より深く刺さる良い文になる。
えっ?
わからない人への配慮?
「知るかボケ」
なんだけど、
こう捉えちゃうのって
ボクの読解力不足が原因?
だったら
滅茶苦茶恥ずかしいな(笑)
誤解のないタイトルはつまらない、ってコト?
著者の意図としては
「知るかボケ」っていうのは
読み手の感想なわけだけど、
書き手の想いとも読めてしまうのが
ボクが誤読した原因かと。
「前提で書く」が
書き手のアクションだから、
「知るかボケ」も
書き手の感想だと感じるのは
自然だと思うんだけどなぁ。。。
「すべての文章は、
読者が何も知らないという前提で書く」
ではダメだったのかな?
、、、ダメだったんだろうな。
そういえば
タイトルのつけ方のコツに
パワーワードと主観を盛りこめって
書いてあった気がする。
ここでは
「知るかボケ」が
パワーワードだから
削れなかったんだと想像。
ひょっとして「敢えて突っ込みどころを残している」のでは?
あるいは、
今回ボクがしたような
誤読を誘って、
「これタイトルと中身違うじゃん!」
と思わせることで
文章への印象を強めさせる作戦とか?
もしそうだとすると、
これって
わざとわかりにくく書いて
「日本語読めない勢」の誤読を誘い、
その誤読をネタにして
インプレッションを稼ぐ系
ツイッタラーのやり口だ!
その場合、
ボクは日本語読めない勢
ってことになって、
辻褄があってしまう(笑)
、、、さすがに考えすぎかな?
書き手=エスパー?
以下は
有益なこととは「知らないこと」である
という節の一文。
要するに読み手は、自分が知らない新しい発見に対しては「有益」だと感じるし、すでに知っているものに対しては「無益」だと感じるのです。だから、あなたしか知らないことを書こう。
p210
これも
言わんとすることは
前後の文脈から理解できるけど、
最後の一文の
「あなたしか知らないことを書こう」
って無茶ぶりが過ぎない?
だって
ある知識が
「あなたしか知らないこと」
であるかどうかを
あなたが知るには、
読み手の知識を
あなたが完全に把握している
必要があるでしょ?
そんなの「あなた」が
エスパーじゃなければ
不可能じゃん。
なんか
添削みたいになっちゃうけど、
要するに読み手は、自分が知らない新しい発見に対しては「有益」だと感じるし、すでに知っているものに対しては「無益」だと感じるのです。だから、自分では無益だと感じることでも気にせず書こう
って書くのではダメなの?
、、、多分ダメなんだろうな。
やっぱり「敢えて突っ込みどころを残している」のでは?
こうやって書いてて思ったのが、
やっぱり
「敢えて突っ込みどころを残す」
というのは書き方のテクニック
なのでは?ということ。
思い返してみると、
ボクが
もう二度と読むまいと思った
イケダハヤト氏の本は
終始そんな感じだったな。
ネットで知らないことを
教えてもらいたいときは、
お願いするんじゃなくて
間違った知識を
ドヤ顔で披露する方が効果的
っていうのもコレに通ずる気がする。
我ながら「お前は何様なんだよ」って思う(笑)
ライターとして
生計を立てている?著者の文章に
こうやって
何個か突っ込んでて
思ったんだけど、
マジでお前何様?(笑)
ひとつ言えそうなことは、
こんなことを書いてるボクは
ライターとしての才能、
というか適正はないんだろうな。
こうやって
誰も読まないブログで
ギャーギャー言ってるのが
お似合い、というか関の山。
その他気になったフレーズ
いい加減疲れてきたので、
最後に読みながらメモした
フレーズについて少し触れて
終わろうと思う。
どんな形でもいいからおわらせて
この記事、
書いてて今までにないくらい
グダグダになったから
消そうと思ったんだけど、
このフレーズを思い出して
無理やりでもいいから
終わらせることにした。
どんな形でもいいから
おわらせようとしてて偉い>自分
あなたの80点は誰かにとっての100点
そう思い込める人が
生き残るんだろうな、と思う。
今のボクは
ホントかよ?と疑ってるけど、
そういう体験を実際にしたら
信じられるんだろうな。
ていうか
体験しなきゃ信じられない
っていうのは
本からでは学べないって
言ってるようなもの。
なんていうか、
哀れというか、可哀そう>自分
「個人的には」という予防線
本書で唯一
「書くべきでないこと」に
触れられている節より。
自分が悪意なき加害者に
ならないためのテクニックとして、
「個人的には」と
前置きするのがいいらしい。
意見はすべて
個人的なものなんだから
そんな予防線を
張らなくてもいいと思うんだけど、
その前置きをしないと
炎上の種になるのが
ツイッターランドなんだなって。
なんていうか、微笑ましい。
とか言いつつ
このブログを
「個人的には」で検索したら、
この記事含めて8件ヒットした。
ボクも予防線貼ってて草。
しかもほぼ誰も読んでないブログでwww
ホントお前何様なんだよって感じ(笑)
まとめ
- 「書く習慣」を読んだ
- 「何を書けばいいかわからない人」がメインターゲットっぽかった
- ボクは「何を削ればいいかわからない人」なので、想定読者からは外れていた
- 「感想は読後秒で書け」に従って一気に書いてみたら、我ながらカオスな記事になった
- 本音で書くと独自性が出るけど、「独自性=魅力」とは限らない
- 感想における突っ込み(批判?)の割合が多いのを何とかしたいと思った
- 本書では触れられていないが、「敢えて突っ込みどころを残す」のはテクニックだと思った
ポジティブなことばかり
発信し続けている人は、
自然とポジティブなことばかり
湧いてくるんだろうか?
それとも
ネガティブなことが
湧き上がってきても
それを
無視したり
ポジティブなことに変換したり
してるんだろうか?
後者だとしたら
ストレス耐性すごいな、
って思う。
ボクは後者でいることの
スリップダメージ(10年超)
がきっかけで
退職したようなもんだから。
それでは~
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