図書館で一斉予約した
橘玲本のうちの一冊。
予約者数がバラバラだから
貸出時期もバラバラになって
丁度いい。
なぜなら
橘玲氏の本は
7割が同じ内容(社会問題)で
残り3割で何かを変えてる
っていう作風だと思っているので、
短期間に何冊も読むと
「またか」という感想が強くて
肝の3割に
目が届かなくなりそうだから。
前回
橘玲氏の「無理ゲー社会」
(感想はこちら)を読んだのは
11か月前。
このくらい期間が開けば
充分なんじゃないかな?
本のテーマ上、
センシティブな内容が含まれます。
以下は
漠然とした個人の感想であり、
誰か(あなた)を
批判しているわけではありません。
概要
本書「バカと無知」は、
「進化の過程で
人類に書き込まれたプログラム」で
現在の様々な
社会問題を説明している本。
その「プログラム」っていうのは
何種類もあって、
たとえば
- 危険に対して過剰に反応
- 上との比較は苦痛
- 下との比較は快感
- 常に「自分は正しい」を維持
- 維持するためなら普段はやらない愚行も犯す
- バカは自分がバカだと気づかない
- カテゴリー化する
- 排除で一体感を感じる
あたり。
そして
「社会問題」っていうのは
- キャンセルカルチャー(正義(笑)の鉄槌)
- 民主主義の迷走
- 人種差別
- 科学的事実の摘示で社会的に消される闇
- 記憶捏造
あたりで、
一言で言えば
「自尊心の維持とリベラル化が招いた混沌」
ってことなんだと思う。
ちなみに
本書の構成は
- 正義は最大の娯楽である
- バカと無知
- やっかいな自尊心
- 「差別と偏見」の迷宮
- 全ての記憶は「偽物」である
の全5パート。
感想
全体を通して
全体の感想、
というかボクなりの要約?
はこんな感じ↓。
文明の発展と共に、
人間は本能を
抑制しなければ
いけなくなった。
なぜなら、
民主主義、リベラルという概念が
生まれたため。
これらの概念は
政治的、社会的には
不可欠なんだけど、
人間の本能に反するので
実現が難しい。
なので
抑制しきれない本能は
どこかで発散させられてきた。
従来はそれらは、
見えないところで
行われてきたんだけど、
ネットの普及によって
見えるようになってしまった。
むしろ
見せることで
発散しているまである。
そういったことをする人は
人口的には少数だけど、
まともな大多数の人は
彼/彼女らの意見をスルーするから
それが
「反対されない=もっともな意見」
となってしまい、
集合知が歪みかねない。
この先どうなっていくんだろう?
ほんと、
ネットは世界を変えたよなぁ。
以上、ボクなり要約終わり
どの章も面白いんだけど、
「言ってはいけない」って
フレーズが出てくる章が
特に面白かった。
ツイッターでのやばい奴の行動原理が面白いほどよくわかる
本書では
いろんな社会問題について
書かれているけど、
ボクにとって
一番身近だったのは
「自尊心の低い人」について。
要は
ネットで見かけるやばい奴のこと。
彼ら/彼女らの
行動原理が「人間の本能」で
説明されている。
つまり、
彼/彼女達は
「ヒトの本能の赴くままに行動していただけ」
ということ。
なぜかネット上だと
リアルでは有している(はずの)
社会性が無くなってしまうらしい。
ヒトの本能
ここで言う本能っていうのは
「ヒトが狩猟採集時代を
生き延びるために身に着けた能力」
のことで、
概要にも書いた
- 危険に対して過剰に反応
- 上との比較は苦痛
- 下との比較は快感
- 常に「自分は正しい」を維持しようとする
- 維持するためなら普段はやらない愚行も犯す
- バカは自分がバカだと気づかない
- カテゴリー化する
- 排除で一体感を感じる
っていうような能力(傾向)のこと。
ボクが
ツイッターでたまに
やばい奴をウォッチするのは
③(下との比較は快感)だからで、
一部ウォッチ対象の
特徴である「謝ったら死ぬ病」は
④(常に「自分は正しい」を
維持しようとする)から
だということ等、
あらゆる人の行動が
これら本能で
説明できてしまう。
やばい奴の行動例
ボクの思う
やばい奴の行動は
こんな感じ↓。
自分が対象になったわけでもない
普通の発信を見て、
- 自分が攻撃されたと勘違いして①②
- 被害者面して発言者を攻撃し、④⑤
- 正論でたしなめられると、①②
- 再度被害者面してお気持ちをばらまき、④⑤
- (当然の結果)誰にも相手にされず、
- 結果自分が勝った(成功体験)と思い、⑥
- 同じ手口を別の発信に対して繰り返す
ときには
正論に対して(議論だと勝てないから?)
- 「法的措置」をチラつかせたりもする。⑤
以上は
単独行動の例だけど、
これが集団になると
- (数少ない)賛同者間でエコーチェンバーが発生し、⑦⑧
- 時にはリアルでの活動なんかも行い⑤
- (少ない)数の力で直接偉い人にアピールしたりする②⑤
っていうのが
単独のフローのどこかに挿入される。
こんな感じで、
本書に書かれていた
人間の本能で
ヤバい奴の行動原理が
面白いほど説明できてしまうので、
結局彼/彼女らは
本能の赴くまま
活動していただけと言える。
、、、赤ちゃんかな?
カオスがツイッターに集まってくる
現代日本では
本能の赴くままに行動すると
大抵は逮捕されるんだけど、
どういうわけか
ネット上でのそういう言動では
逮捕されることではない。
それだけ言論の自由が強いってことなのかな?
よって、
どんどんツイッターに
そういう本能むき出しの
(ヤバイ)人たちが集まって、
というか溜まっていき、
結果として
今のカオスなツイッターが
出来上がったんだろうな、と思った。
いや、
まだ出来上がってないのかもしれない。
今も発展(退化?)途上で、
今後もっと禍々しい何かに
なっていくのかも。
見たいような
見たくないような、、、
以上のことは
まさに本書にも書かれていて、
曰く
まともなひとは、なんの「生産性」もないSNSの論争(罵詈雑言の応酬)から真っ先に退場していくだろう。このようにして、まともでないひとたちだけが残っていく。そう考えれば、いま起きていることがうまく説明できるだろう。解決にはならないだろうが。
とのこと。
まったくその通りだと思った。
反論があるなら聞いてみたい。
もうやばい奴ウォッチはやめようかな
本書を読んだ直後は、
「ヒトの本能」っていう
補助線のおかげで
ツイッターでの
ヤバい奴ウォッチに
新たな楽しみ方ができて
有益だったな~
なんて悠長なことを
考えていたんだけど、
こんなやばい空間の
観察なんかやめて
他のことに時間を使った方が
いいと思い直した。
でも
ヒトの本能として
「下との比較は快感」だから、
ついつい見ちゃうんだよな。
我ながら性格悪いな、
とは思うんだけど。
実際はボクの方が下かもしれないけど、
困ったことにバカは自分がバカだと気づかない、、、
こんなところにも無職(無所属)のデメリットが、、、
ていうか
こんなことに
楽しみを見出してしまう
状況自体が良くない気がする。
なんでボクが
ヤバい奴ウォッチを
するようになったかというと、
無職で時間があるから
っていうのもあるけど、
それよりも
リアルで他者との
つながりがないから
っていうのが大きい気がする。
ツイッターにどっぷりな
やばい奴はもちろん、
ボクのように
見ているだけでも
「まともな人なら
去っていく空間に残っている」
ことには違いないので、
いずれボクも
まともでなくなりそうで怖い。
いや、
もう既にまともじゃないのかも。
それを指摘してくれる人が
周囲にいないっていうのも
これまた問題なんだよなぁ。。。
各論について思ったことを垂れ流し
以下、
読みながら思ったことを
いくつか垂れ流す。
集合知の実現には「バカの排除」が必要
このフレーズが出てくる章は主に
「集団がバカに引きずられないためには」
がテーマなんだけど、
政治関係の集合知に関しては
「成田悠輔氏の本(感想)が面白かった」
くらいしか言うことがない。
企業関係の集合知に関しては、
以下の記述が印象的だった↓。
いろんな背景を持った
高い知能を持つ者の集団
→GAFA
日系日本人、男、中高年、
大学学部卒(主に文系)という、
凡庸かつ何の多様性もない集団
→日本企業
日本がまともに
「国際競争」などできるはずがない。
これは草。
こういう
事実を述べているだけで
それが皮肉(批判)になってるのが
とっても好き。
「バカの排除」に関しては、
ボクは在職時代に何度も
「こいつ排除したほうがいい」と
感じたことがあるけど、
たぶんボクが排除されるのが
最適解だったんだよなぁ、、、
「逃走と闘争」→「逃走、闘争、すくみ」
人間に備わった
プログラムのひとつで、
「切羽詰まったら
闘うか逃げるかしかなくなる」
っていうやつがある。
これ、
最近では
「逃走と闘争とすくみ」の
3F(Flight, Fight, Freeze)らしい。
知識がアップデートされた。
マンモスに
襲われたときの反応としては、
たしかに「すくみ」がある方が
ボクには納得できる。
で、
その「すくみ」の
現在における例が
学校でのいじめ被害者とのこと。
たしかに
闘争(反撃)できるなら
いじめにまで発展しないだろうし、
逃走(転校)できるなら
とりあえずそのいじめは終わる。
で、
「すくみ」が起きる原因は
学校という逃げ場のない空間に
同世代の子供たちを監禁するという
進化の歴史ではあり得ない
異常な文化にあるらしい。
なるほどね~
もう何でもかんでも社会問題は
「ヒトの本能(人類の進化速度)が
社会の進化速度に追いつけない」
で説明できちゃいそうだな。
ただし解決できるとは言ってない
リベラル化の功罪?
「進化の歴史では
あり得ない異常な文化」
である学校に対して
更に
リベラル化の波が押し寄せ、
結果
「先生は生徒より偉い」
という構造がなくなり、
両者の関係が
対等になることによって
非常に面倒くさいことが
起きているらしい。
暴力とかボイコットとかモンペとか
「学校における先生と生徒」は
一例に過ぎず、
いまやすべての会話が
相手の自尊心を傷つけないよう、
細心の注意を払って
行われているとのこと。
これを読んで、
年末に合った友人が
「後輩にも敬語を使うようにした」
「いつ上司になってもおかしくないから」
と言っていたのを連想したけど、
それはたぶん意味合いが違うな(笑)
閑話休題。
これを読むと、
リベラルマジで厄介、
としか思えない。
もちろん
リベラル化によって
改善されたことも
たくさんあるんだろうけど。
なので
リベラルが厄介というより、
リベラル化によってできた歪みを
「悪用」するのが厄介なのかな。
「悪用」っていうのが主観的なのもまた厄介
教師が
生徒を友達として接するとか、
見たことないから
ちょっと想像できない。
教師って大変だなぁ。
最近
若者への性加害をする
教師のニュースが
増えてる気がするんだけど、
それは
こういう今までになかった
ストレスが原因だったりするのかな?
(ヒトの本能「常に因果関係を求める」、発動!)
報道されてないだけで
昔から教師の若者に対する性犯罪は
多かったのかもしれないけど。
その場合のこじつけ理由は
子供好き(をこじらせた人)が教師になる確率が高いことと、
単純に子供との接触頻度が多いこと
日本人の3人に1人は日本語が読めない
日本人の3人に1人は
日本語が読めないっていう文脈で、
「役所の手続きが
自力でできる人は少ない(5人に1人)のに、
偉い人は
周りに高学歴エリート(=日本語が読める人)
しかいないから
この事実に気づいてない」
という指摘(皮肉?)があるんだけど、
著者なりの解答は示されていない。
この問題については、
もうどうしようもないと思った。
日本語が読めない人が多い
っていうのに加えて、
「役所の手続き」っていうだけで
拒否反応を起こして
「読もうとしない」人もいる。
なので
これについては
ボクは偉い人に少し同情。
そしてそれ以上に
役所の担当者に同情。
ボクは「読める側」?
「役所の担当者に同情」なんて
いかにも
ボクは「読める側」って
感じで書いたけど、
思い返してみたら
ボクは住民税と下の手続きについて
役所に質問に行ってるので
どう見ても
「読めない側」だった(笑)
役所の担当者の皆さん、
お手数おかけしています。。。
非モテ男 v.s. 高学歴女の構図
結構いろんなところに
応用できそうだな、
と思った構図。
強集団/弱集団のそれぞれに
上位/下位が存在する
計4つのグループがあって、
そこに
「強集団と弱集団の平等化」という概念(リベラル)と
「誰もが死に物狂いで自尊心を引き上げようとしている」
というヒトの本能を持ってくると、
各グループに
- 強集団上位:自尊心を脅かすものがないので、平等化に協力的。
- 強集団下位:唯一「強集団に属していること」で自尊心を保っているので、平等化は断固反対
- 弱集団上位:集団が弱いことで自尊心が下がっているので、平等化に躍起になる
- 弱集団下位:ある種の諦めがあるので無関心、あるいは現状を受け入れうまく立ち回る
という特徴が挙げられる
っていう構図。
これを今の日本に当てはめると
- 強集団 → 男
- 弱集団 → 女
- 上位 → 成功者(≒モテる金持ち)
- 下位 → 非成功者(≒モテない貧乏)
になって、
それぞれ
- リベラルなイクメン
- アンチフェミニスト
- フェミニスト
- 専業主婦
になるとのこと。
たしかに。
この構造から、
ツイッター上で
フェミ騎士と
言われている人たちは
自分を上位に見せたい
(下位の)男で、
いくらでも
虚勢を張れるSNS上で
リベラルのように
ふるまうことで自分を
(余裕のある)上位に
見せているだけ
という仮説がたってしまう。
そう考えると
ツイッターにまたひとつ
趣深い要素が増えてしまうな。
いかんいかん
タブー ~正しいことを言うと消される分野~
男女や人種にまつわる
アレコレが面倒くさいと思った。
男女の生物学的な
差について言及した
大学教員やグーグル従業員が
解雇されたっていう話は
本当理不尽だと思う。
これ関係に携わる
「失うものがある人」は
大変だな、と思った。
わかってても公言してはいけない、
現在のタブーってやつなのかな?
社会的に排除されることを恐れて非合理を通す?
この手の男女の取り扱いについて
最近思ったのは、
大学の入学者に女子枠を作ること。
情報不足なので
あまり書かないけど、
女子枠を作ることが
入学基準としての平等性に
欠くことは把握しつつも、
女子枠を作らないと
先述の教授やGoogle社員同様
社会から(なぜか)
排除されてしまう可能性があるから
その圧に負けて
渋々作ったんだろうな、
と勝手に想像している。
あるいは内部にいる声のでかい人の我儘が通ったか
もう何が何やら
最近は
トランスジェンダーとかいう
わけわからない概念がでてきて
さらに混迷を極めているけど、
結局人間は
グラデーションはあれど
「男と女の間のどこか」
には属するから、
男女差別については
「属性的に誰もが確実に当事者」
になるため
客観性が担保できず
難しいんだろうな、と想像。
仮に
男女差別を
AIに考えさせたとしても、
元となるデータに
人類の歴史としての
男女差別が入り込むだろうから、
やはり客観性の担保は難しい。
これはもう、
宇宙人を探し出して
「あなたから見て
人類の男女差について
どう思いますか?」
って聞くしか
客観的な意見を
得る方法はなさそう(笑)
人類の歴史の大半はリベラルではなかった
「人類の進化速度が
社会の進化速度に追いつかない」
という観点でみると、
「人類の歴史の大半は
リベラルではなかった」
という1文が
社会がリベラルになると
問題が大量発生する原因を
すべて表していると思う。
人類は
リベラルに適用するように
作られていないんだから、
リベラル化によって
混沌が招かれて当然ということ。
一部の人間が
本能に抗えないのは
前述のように
ツイッターランドを見ると
明らかなので、
「カテゴリ化/排除により一体感を感じる」
(≒差別する)という本能に抗うのも
難しいってことなんだろう。
かといって
差別して良いってことには
ならないから、
これからも
本能に抗い続けていくのだろう。
もう何千年もすれば、
さすがに本能に修正が入るのかな?
それまで
人類が生き延びてるのかわかんないけど。
余談
「リベラル化させる」
「差別はさせない」
両方やらなくっちゃあ
ならないってのが
「政治家」の
つらいところだな
覚悟はいいか?
(誰もできてない)
思いついたから
書かずにはいられなかった。
反省はしている。
まとめ
- 「馬鹿と無知」を読んだ
- センシティブなネタがデータベースで語られていて面白かった
- 社会問題がヒトの本能という補助線によってスッキリ説明されていた
- 説明できるからと言って解決の目途は立ちそうもないのが厄介
- 「リベラル化」が現在の混沌を招いたように感じた
- ヤバい奴≒本能垂れ流しな奴、ということがわかった
- ヤバい奴観察には生産性がないので、もうやめようと思う
ネットの普及や
リベラル化により
沢山のことが
改善されたことは
たしか(なはず)なので、
昔(昭和とか平成初期)より
現在(令和)の方が
平和になったはず。
でも本書を読むと、
ネットとかリベラルといった
混沌を招く要素が(少)なかった
昔の方が現在よりも
平和でよかったのでは?
とも思う。
これと同様のことを
時間軸をずらして考えると、
現在の令和を
平和で良かったと思える
未来が来るのかもしれない。
今のボクは
現在(令和)は混沌を極めていると
思っているんだけど、
それが平和だと思える未来って
どれだけ混沌なんだろう?
見てみたいような
見たくないような、、、
それでは~
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