「国がお金を刷れば
日本の経済は良くなる」
っていう
素人のボクでも
暴論とわかる主張をしてる人に対して、
「大丈夫ですか?」
「論理も根拠もなしに原因を断定し、
それを摘めば問題は解決すると
断言するのは情弱ビジネス」
「そういう人たちが
テレビやネットに蔓延っている」
「このことを心の底から軽蔑している」
と言い放った成田悠輔氏の本。
本の内容も
期待を裏切らず痛快だった。
概要
冒頭の要約
今の民主主義のシステムは
現状の社会環境とマッチしておらず、
異常で病的である。
短期的な老人優遇をやめて
もっと未来を見据えた政策に
改善しようにも、
選挙が多数決であり
若者が超マイノリティである以上、
どう頑張っても何も変わらない。
変えたければ革命をおこし、
仕組みを根本から変える必要がある。
選挙という
既存の仕組みに乗っかって
何かする時点で、
それは老人たちの
掌の上なので無意味である。
- 革命を起こして現状の異常を修正するか
- 諦めて家でだらだらするか
究極の選択を助ける
マニュアルがこの本である。
っていう風にボクは理解した。
本書の構成
本書はだいたい
以下の4部構成。
- 故障:今の民主主義がいかに異常かの説明 (現状把握)
- 闘争:民主主義と向き合いながら改善していく方法の紹介 (改善案①)
- 逃走:民主主義を見捨て、別の仕組みを立ち上げる方法の紹介 (改善案②)
- 構想:向き合いも見捨てもしない、全く新しい民主主義の紹介 (改善案③)
これとは別に冒頭に
要約+αが書かれていて、
ボクはこれのおかげで
内容がすごく
読みやすくなった(後述)。
タイトルにある
22世紀の民主主義は
4.の全く新しい民主主義で、
著者はこれを
無意識データ民主主義と呼んでいる。
現在あるいは今後の
半導体やAI技術が
あるからこそできる、
正にタイトルにあるように
22世紀っぽい案だと感じた。
無意識データ民主主義とは
本書のメインとなる
無意識データ民主主義の
ボクの理解は以下の通り。
現状の民主主義の問題
今の民主主義は、
政治的に解決すべき
あらゆる分野における
膨大で複雑な問題に
対応する政党・政治家を
選挙で決めている。
この選挙というものは、
最終的には
「誰誰に投票する」
という単純作業なので、
あらゆる分野における
膨大で複雑な問題を
政策の(雑な)パッケージング
により単純化しなければならない。
そして
選挙によって
問題に対応する
政党・政治家が
決まったところで、
彼らは
それらの分野における
膨大で複雑な問題の
専門家ではないので、
適切な政策立案できるか疑わしい。
仮に
それができたとしても、
それが有権者に直感で
理解させられないのであれば
次回落選してしまうから
その政策を主張できない。
結果、
お金のバラマキのような
短期的でわかりやすい
政策しかできない。
って感じで
今の民主主義は詰んでいる。
問題点が解決できるなら?
でも、
もし
- 投票を行わずに(情報量を落とさずに)民意を吸い上げることができたら?
- あらゆる分野における膨大で複雑な問題すべてに対応する専門家がいるとすれば?
- その人が落選とか気にせず政策立案に集中できるとすれば?
民主主義の体を崩さずに
これらが可能なら、
きっと民主主義は
生まれ変わるはず。
それなら
センサーとアルゴリズムに
やらせれば解決じゃね?
っていうのが
無意識データ民主主義。
日常生活のいたるところから
民意をセンサーが拾い上げ(1.)、
それらを受けて
アルゴリズムが政策を決定する(2. 3.)。
こうなると
政治活動は全て
アルゴリズムが担ってくれるので、
政治家の役割は
- アイドル的な広告塔か
- 怒りの矛先としてのサンドバッグ
しかなくなり、
そもそもそれらは
人間の政治家がやる必要すらなく、
前者はネコ、後者はゴキブリに
任せればよいのでは?
(タイトル回収)
というのが著者の主張。
なんかSFみたいだと思ったけど、
著者曰く
SFは、想像力の限りを尽くして、ありえる世界とありえない世界の境界に触れ、ありえることを押し広げる営みだ。浮世離れして現実に追いつかれないことが価値になる。
この本の試みはむしろ逆だ。近未来の浮世に接近してみたい。まだ人々の脳に染みついていないが、いったん語られてしまえば、つい腑に落ちてしまうこと。素直に受け入れられてしまうことが目標だ。(中略) 無意識データ民主主義は構想というより予測である。
pp. 20-21
とのこと。
たしかに言われてみれば
この無意識データ民主主義、
AI技術、半導体技術的には
現時点でも
実現できないって程じゃないから、
“浮世離れして現実に
追いつかれないことが
価値になる”SFとは逆だ。
それにしても、
「無意識データ民主主義は
構想というより予測である」って
カッコいいな!
全体の感想
現在の民主主義、
というか政治や政治家、
NPOの中抜きに対して
不満、憤りを覚えたことがある
ボクにとって、
本書は滅茶苦茶面白かった。
一言で言えば
政治、
人間がやるより
機械がやった方が
何万倍も効率がいいし、
既得権益という名の
ノイズも入らないから
機械にやらせようよ
ってことになると思う。
本書で
提案されている案が
将来的に
実現されるにせよ
されないにせよ、
今の民主主義がいかに
異常であるかを
はっきりとわかりやすく
書いてくれている点、
それに対する筋の通った
解決策を提案してくれている点、
この2点だけでも
ガス抜きとして
非常に価値のある一冊だった。
ボクは本書を
図書館で借りて読んだんだけど、
100円になったら
ブックオフで買おうと思う程度には
本書のことを気に入った。
「成長速度のギャップ」が、あらゆる社会問題の原因?
主題とは逸れるけど、
大きなところで感じたのが
成長速度のギャップは
様々な社会問題の原因に
なってるんだな、ということ。
「民主主義システム」と「我々を取り巻く社会」の成長速度ギャップ
本書では
「現状の民主主義は無理ゲー」
と書かれているけど、
その原因は
「社会が目まぐるしく
変化しているのに対して
選挙システムは100年以上
全然変わっていない」から。
この場合は
「社会」と「選挙システム」
の成長速度のギャップ。
これ、
テーマは違えど
他の本で同じようなことを
いくらでも読んだことがある。
「人間の遺伝子」と「〇〇」の成長速度ギャップいろいろ
食の健康本には
糖や脂質をついつい食べて
結果病気になっちゃうのは、
それらが貴重だった
狩猟採集時代の人間の特性が
今もまだ残ってるからだ、
とか
狩猟採集時代に滅多に
摂取しなかったので
体内に充分な処理機構が
確保されていない栄養(リン)を
現代では無意識に
過剰摂取しているので
腎臓に負荷をかけすぎた結果
腎臓病患者が多発している、
とか書かれてるし、
運動の健康本でも
野生動物と
闘ったり逃げたりして
(=運動して)
生き残ったのが我々だから、
運動しないと
死に近づくようにできている、
と書かれてるし、
メンタル本でも
人間のメンタルは基本
「闘争 or 逃走」で、
生存率上昇特化で
プログラムされている脳に
ネットやSNSによる
過剰な情報が浴びせられると
脳がバグって病んじゃう、
みたいなことが書かれている。
最たる例が
「最高の体調」っていう本で、
正にそのギャップに焦点を当てて
「文明病」と呼び、
それを軸に本が構成されてる程。
片方が「人間の遺伝子」なら諦めもつくけど、、、
成長速度ギャップの片方が
「人間の遺伝子」なら、
人間は
何万年も前から
ほんの数百年前まで
ずっと同じ生活をしていて、
ここ数百年で急激に
生活が変わったんだから
そりゃ急に成長して
適応なんかできないよな
って思えるけど、
本書のテーマは
「民主主義システム」も
「社会」も
どちらも人間が
作り上げてきたものなので、
民主主義システムは
もうちょっと
世の中の成長速度に追従
させられたんじゃないの?
と思わなくはない。
それと同時に、
本書でも書かれているけど、
民主主義が
「あらゆる専門性を含んだ
複雑な判断を
最終的に政治家という
多数決で選ばれた(だけの)
人たちがハンドリングする」
っていうシステムである以上、
「様々な専門家たちが
各自勝手に発展させてきた」
世の中の成長速度に
追従するのは無理だよな、
と納得もしてしまう。
面白かった理由
話を変えて、
本書のどういう所が
面白かったか
について触れていく。
面白かった理由は
主に
- 内容がわかりやすく
- 文章が面白く
- 読むことで頭が良くなった気になれた
から。
以下、
ひとつずつ説明していく。
内容がわかりやすい
面白い理由ひとつめは、
内容がわかりやすいということ。
言い換えると
ストレスなく読めるということ。
その理由は
大きく分けて以下の3つ。
- 迷子にならない
- 復習ができる
- 余計な疑問が挟まらない
以下、
ひとつずつ見ていく
迷子にならない
論文みたいに
冒頭に要約を
つけてくれているので、
最初に
本書全体の概要がつかめる
というのが大きい。
「いったい今
自分は何を読んでいるんだ?」
という迷子みたいな感覚がなく、
「全体像の中の
この部分を読んでいる」
というのが
常にわかる状態で読めるので
非常に理解しやすい。
復習ができる
これも要約の効果。
作中にも
書かれていることだけど、
最初に頭から通しで読んで
最後にもう一度
要約を読むことによって、
より理解が深まると思う。
ていうか
ボクの理解は深まった。
なんで他の本も
こういう構成にしないんだろう?
って思ったけど、
これは
ボクも一応研究者だったから
この構成に慣れているだけで、
一般的にはウケが良くない
っていう可能性があるな。
余計な疑問が挟まらない
特に翻訳本を読んでいて
感じることの多い、
「ある文章を読んでる時に
湧いた疑問に
いつまでたっても
触れられずストレスが溜まる」
ということが一切なく、
文章がめちゃくちゃ
スムーズに流れていた。
読んでいて
全くストレス(ノイズ)が無いので、
書かれている文章の内容が
すんなり頭に入ってきた。
文章が面白い
面白い理由2つ目は、
文章が面白いこと。
いや、
「面白い」というか
「好き」っていう方が正確かな。
でも
今からさかのぼって修正するのが面倒くさいから
「好き=面白い」ってことで進める。
本は文章の連続で
構成されてるから、
文章が面白いっていうのは
それはもう
全部面白いってことなんだけど、
本当に全部面白かった。
皮肉(皮肉ではない)の部分が面白い
特に
皮肉の文章が良かった。
いや
正確に言えば
皮肉ではなくて
的確に現状を表現しただけ
なんだろうけど、
現状が現状なだけに
勝手に皮肉に
なってしまっている
っていうのがまた面白い。
これに関しては
面白さを一般化して
説明することは困難なので、
象徴的な箇所を引用する。
こんな感じ↓。
世代間の衝突は人類の原動力でもある。歴史を塗り替えるのはいつも「若くて無名で貧乏」(注釈略)なひよっ子だ。老害への怒りとさげすみを胸に革命を起こした若者は、しかし、やがて自らを老害化し、次の世代に葬り去られる。 私たちは「葬式の度に進化する」(注釈略)というわけだ。
しかし、今世紀に入ったあたりから何やら雲行きが怪しい。若者の怒りが絶望に、そして脱力に変わりつつあるように感じる。老害を葬り去ってくれるはずの葬式がどんどんと先に延び延びになり、政治がゾンビ化した高齢者に占拠される。(中略)「自民党の青年局が青年の定義を『60』歳以下にすることを検討している」というホラーを聞いたことがあるが、政治家がゾンビ化した高齢者の象徴であるように見えることが、この脱力をさらに深めているように見える。
pp. 91-92
...どう?
こういう文章が
ボクにはめっちゃ刺さった。
頑張って面白さを一般化してみる
ボクには
これ(↑)がとても面白いと感じる。
なんで面白いと感じるんだろう?
頑張って
一般化を試みると、
「ボク(読者)の
意見を的確に
代弁しているから面白い」
「ボク(読者)が
漠然と感じてはいるけど
言語化までは
至ってないことを
的確に言語化
してくれるから面白い」
「事実が淡々と
述べられている中に
ちょくちょく挿入される
砕けた単語
(老害、ゾンビ化、ホラー等)が
スパイスとして働いて面白い」
ってところかな?
的確さ&淡々さと
ジャンキーさのギャップ
とでも言えばいいのかな。
こういうのを
ウィットとかエスプリとか
言うんだろうか?
ユーモアとは
ちょっと違う気がする。
余談:ちょっと森博嗣に似てる。似てない?
著者は
政治に興味がない
と作中で書いている。
だからこそ
熱が入ったりせず
淡々と書くことができるのだろう。
これ、
ボクの大好きな森博嗣に
通じるものを感じる。
著者の小説も読んでみたいな。
どうでもいいけど、
森博嗣氏も
成田悠輔氏も大学教官。
ボクは
大学の先生の本に
ハマる傾向があるのかもしれない。
読むことで頭が良くなった気になれた
面白い理由3つ目は、
読んだ後
頭が良くなった気になれたこと。
少なくとも
ボクはこれを読んで
現状の民主主義の
劣化具合について
詳しくなれた気がしたし、
将来の民主主義のあり方は
本書で提案されている
無意識データ民主主義が
王道路線になるだろうと感じた。
これは前述したように、
文章の流れが綺麗で
余計な疑問を抱かせずに
読ませてくれるので、
思考が脇道に逸れず
常に文章に導かれるまま
でいられることが
理由だと思う。
なので結局
面白いと感じる理由は
「文章が上手い(ボクに合ってる)」
ってところに帰結するのかな。
なんて面白くない感想なんだ、、、
まあ
本書で提案されてる案が
王道になると感じる理由は、
ボクが
本書みたいなテーマの本を
これまで一度も読んだことが
ないから他の案を知らない
(=余計な疑問を挟むだけの知識がない)
っていうのが
大きいとは思うけど。
難易度がちょうどいい
一部繰り返しなんだけど、
「難しいことが書いてあるけど
内容がよくわからなかった」
でも
「初心者向け過ぎて
当たり前なことしか
書かれていなかった」
でもなく、
「ちょうど自分の知識で
理解できる範囲の
ギリギリが書かれている」
という感じが心地よかった。
きっと
著者としては
書き足りないというか
詳細を省くことで
話に飛躍があって
モヤモヤしてると思うんだけど、
ボクにとっては
ちょうど良い内容だった。
余談:「書きたいこと」を書いてちゃダメ
ちょっと
「面白さ」からは
話がズレるけど、
これがお金をもらって
文章を書くということ
なんだよな、と感じた。
昔
何かの本で読んだ
「文章は人に読まれて
なんぼなんだから
自分の書きたい事は
一旦棚上げしろ」
的な内容を思い出した。
本書は
それを実現できている気がする。
思い出した。この本だ。
一言感想は「文章が不快だけどとても勉強になった」
実はそんなことないのかも
しれないけど、
ボクはこれは著者が狙って
書いたんだと思っている。
ボクも
書きたいことを
殴り書くんじゃなくて、
読む人のことを優先した文章を
書いてみたいものだ
(なおここまでの文章)。
気になったフレーズ1選
気になったフレーズの
紹介とコメント。
とは言ったものの
誇張なしで
どのページにも
気になる文章が出てくるので、
全部載せてたら
キリがないし
著作権が危険で危ないし
ここまでかなり
だらだらと書いてしまったので
そろそろ切り上げたいし、、、
ということで
どうしても
書きたいことをひとつだけ。
〇□主義
最序盤に出てくるフレーズ(単語)。
いや、
これ絶対
自身のメガネを
意識してるでしょ(笑)
作中では
「〇□主義と□〇主義」っていう
使い方がされてたけど、
そこ別に伏字?にせず
資本主義と民主主義って
書けばいいとこだし、
伏字にするにしても
一般的にこういうときって
「〇×主義」になるもん。
なるよね?
あ、
これは
ウィットでも
エスプリでもなく
ユーモアかもしれないな。
↑はイメージ
妄想:既得権益者主演の”リアルざまぁ系観劇”を見てみたい
ifの話
我ながら
性格が悪いと思うんだけど、
もし将来
本書で提案されている
無意識民主主義実現へ向けて
舵が切られることが決まったら、
過渡期においては
一部の政党、
政治家やNPO団体といった
既得権益にしがみつき隊は、
その存在が徐々に不要となり、
彼らが不当に得ている
(とボクは思っている)利益が
徐々に失われていくことになる。
もしそうなった場合、
しがみつき隊の人たちが
どうやって
既に決定した合理的な
無意識民主主義への移行に
反対するのか?
それを傍観したい自分がいる。
抵抗手段から考えられる移行の優先順位
しがみつき隊の抵抗は、
理屈では敵わないから
今と変わらず
感情に訴える(=お気持ち表明)
くらいしか
手はないと思う。
あ、
そういう意味では、
感情への訴求が成功しちゃうと
民意が不合理な方向に
行きかねないので、
無意識データ民主主義への
以降順序は
政策アルゴリズムよりも
センサーによる
無意識民意データ収集を先に
実施した方がいいんだろうな。
閑話休題。
そんな
リアルざまぁ系劇場を
見てみたいな。
時間軸的に
生きてる間は厳しいかな。
あくまでも妄想の話
もちろんこれは
ボクの妄想で、
実際は
無意識民主主義なんか
候補に挙がらない
可能性もあるし、
候補のひとつに
挙がったとしても
それが採用される前、
あるいは候補に挙がる前に
しがみつき隊の人たちから
封殺されてしまう気もする。
というか
そもそも
候補に挙がる/挙がらない
とかではなく、
変化はもっと
グラデーションだと思うし。
将来のことはわからないけど、適切な共感半径で幸せに生きたい
いずれにせよ
今後の民主主義の
方向性を決めるのが
「今の」民主主義である以上、
どうなるかなんて
想像もつかない。
将来の民主主義が
どう転ぶにせよ、
ボク個人は
どこかに感情移入して
イライラすることなく、
観劇を楽しむ感覚で
幸せに生きていきたい。
観劇ジャンルがざまぁ系ならなお良いけど
まとめ
- 「22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる」を読んだ
- すべてが面白かった
- すごく面白かったので、めっちゃだらだらと感想を書いてしまった
- ここまで読んでくれてありがとうございます
それでは~
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