※当ブログには、アフィリエイトを利用した記事があります

【比較がおかしい】4630万円誤振込騒動のコメント炎上原因

〇その他(雑記)
〇その他(雑記)

ボクは基本的に

自分との関係性が薄いことに関しては

距離を置いて精神の平穏を保つように

するように心がけています。

ですが、

この4630万円誤振込騒動については

なぜか目につき考えてしまったので

その内容をここに吐き出しておきます。

スポンサーリンク

本件に関するボクの認識

本件に関するボクの認識は

  • 山口県阿武町が、463世帯分の給付金を1人(田口氏)の口座に誤振込し、
  • 田口氏が、そのお金を返還できない状態にした

程度です。

参考:NHK NEWS WEB「阿武町 「給付金」4630万円誤振込 事件の経緯は」

荒れるコメント欄

この件に関して

「お金の行方」や「返金の可否」といった

ニュースとして価値がある記事以外にも、

「誤振込騒動に対する〇〇さんのコメントに避難殺到」的な

無価値な記事が何件も確認できました。

その記事のコメント欄には

  1. 「阿武町が悪い」派
  2. 「阿武町は悪くない」派
  3. 「田口氏が悪い」派
  4. 「田口氏はある意味被害者だ」派

がおり、

各派閥のコメントが混在しており盛り上がっています。

共通点として

「田口氏は悪いことをした」

という点があるようですが、

「田口氏は確かに悪いことをしたが、

原因をつくった阿武町も同様に悪い」

的な意見がいい感じの薪になって

燃え上っているようです。

もう少し寒い時期に燃えてくれたら

暖かくなれたのですが、

最近は暑くなってきたので

少し時期が悪いです。

ボクは

「みなさん暇なんだなー、他にもっとやることあるだろ」

と思いながらそれらのコメントを見ているわけですが、

もちろんこんな記事を書いているボクは

暇人の筆頭です。

無職最高!(挨拶)

なぜ炎上するのか? → 比較できないものを比較しているから

「なぜコメント欄が荒れるのか?」ですが、

これは本来比較すべきでない事柄を比較しようとしている

からだと思います。

比較すべきでない事柄とは、

  • 罪の尺度
  • 仕組み尺度

の2つです。

ボクはこの解釈ですっきりしたので

これ以上の思考を止め、

この話題からも離れることにしました。

以下、各尺度について書いていきます。

罪の尺度 → 法律への違反度合い

ひとつめは法律に反しているかどうか、

という尺度です。

前述のように

田口氏が法律違反をしているであろうことは

ほぼ全員の共通認識だと思います。

なので

「田口氏の行動が非難される理由がわからない」

という意見は極少数なのではないでしょうか。

一方、ミスで誤振込してしまった

阿武町が法律的にどうなのかは、

よくわかりません。

ただ、

「田口氏より重い罰を阿武町に課すべきだ」

という意見を見た覚えはありません。

法律の尺度で両者の良し悪しを比較すると、

田口氏のほうが悪い

と言えそうです。

仕組みの尺度 → 管理体制の杜撰さの度合い

ふたつめは、管理体制の杜撰さについての尺度です。

まず、阿武町は「組織」で、田口氏は「個人」です。

組織であれば、

起きてはいけない事を防止するための

仕組みが機能していることが当たり前です。

ボクの勤めていた会社は

割とセキュリティがガバガバと思えたのですが、

そこでさえ仕組みが張り巡らされていました。

何重かのチェックが入るので、

「463世帯にそれぞれ振り込むはずのお金を

1世帯に全額振り込む」ということは

普通は起こらないとボクは思います。

一方、

個人におけるそのような「仕組み」は

「自分ルール」ということになると思いますが、

「自分ルール」にはそもそも欠陥があります。

なぜなら

個人には第三者が介在しないため、

自分の気分次第でいくらでも

仕組みを変えることができるからです。

「もう今日はお菓子を食べない!」

と決めた数分後にお菓子を食べてること、

ありますよね?(ボクはあります)

なので個人の中で「魔が差す」ことを

止めることは非常に困難です。

「魔が差さない」ように矯正するために

第三者(国)が個人に介入するのが

義務教育(≒洗脳)だと思うのですが、

田口氏には効果が薄かったのでしょう。

なので、

仕組みの尺度で良し悪しを判断すると、

阿武町のほうが悪い

と言えるのではないでしょうか。

仮に田口氏サイドで

「仕組み」が機能することがあるとすれば、

それは田口氏が振り込んだ先の組織の「仕組み」でしょう。

(田口氏個人の「自分ルール」ではない)

混ぜるな危険

「自分宛のお金ではないのに返さない田口氏が悪い」(罪の尺度)

という意見と

「田口氏の人生を歪めた阿武町が悪い」(仕組みの尺度)

という意見は混ぜたらダメです。

2つの尺度(罪、仕組み)を

無理やり同じ尺度で比べようとするから

議論がかみ合わない。

かみ合わないまま

お互いが自分の主張を通そうとするから

そもそも議論にならない。

議論にならないから

収束せず、荒れる。

というのがこの件の盛り上がりの仕組みかな

と思います。

今回の誤振込の件だけじゃなく、

「比較できない事柄を無理やり比較しようとして

コメントが荒れる」

というのは燃え上るひとつの「型」ですね。

そう考えると

自分の立場や前提条件の説明を省略しがちな

文字制限のあるtwitterや記事のコメント欄は

議論に向かないと言えます。

こういった媒体は基本的に

「反射的に頭に浮かんだことをとりあえず放り投げてスッキリする場所」

であるということですね。

まさにボクにとってのこのブログです。

違いは文字数と観客の有無でしょうか。

観客がいないので好き放題書けるので気楽です。

結局はアクセス稼ぎ?

コメントが荒れる構造を

ネットニュースの配信側が

把握していないわけがありません。

なので、

わざわざ「著名人の反応」的な記事をつくって

コメント欄を提供しているのは、

やっぱりアクセスを集めて広告収入を稼ぐことが

目的なんだよな、と思います。

つまり、コメントを読む人、書き込む人は

ある意味ニュースサイトの運営側に利用されている、と。

ニュース記事のコメント欄に記入する人、読む人の中で

  • 自分が利用されていることを自覚している人
  • 逆に自分がコメント欄を利用している人

ってどのくらいの割合でいるのでしょうか?

少し気になります。

まとめ(まとめるとは言ってない)

ここまで書いておいてアレですが、

今回記事にした

「コメントが荒れる原因」

よりも

「なぜいつもは避けている、この手の記事を読んでしまったか?」

を考えたほうがボクにとって圧倒的に有意義でした。

反省。

でもまあ、コメントが荒れる原因を文章にして

多少は整理できたので良しとします。

少し飛躍しますが、

コメントが荒れる原因を考えている際、

ワンピースのドフラミンゴの

「異なる意見は利用してねじ伏せろ」(うろ覚え)

というセリフを連想しました。

「ねじ伏せる」の部分に「やりたいこと」を

当てはめれば汎用性があるな、と。

今回の場合、

  • 異なる意見は → 「比較できない」異なる意見は
  • 利用して → 記事のコメント欄を提供して
  • ねじ伏せる → アクセスを稼いで金儲けする

みたいな。

最後に本記事の一応の結論をば。

もし本当に議論する気があるのなら、
問題は切り分けましょう。

それでは~

追記:お金、ある程度戻ってきたようです。良かったですね。

参考:NHK NEWS WEB「山口 阿武町 4630万円誤給付「これまでに4299万円余を確保」」

コメント

タイトルとURLをコピーしました