「親ガチャ」という言葉が
世の中に浸透していると思うんだけど、
ボクはこの表現が
親に失礼だ、とか不快だ、とかではなく
比喩的に不適切(下手くそ)だと思うので、
この言葉を聞くたびモヤモヤする。
このことについて書いていく。
「親ガチャ」は比喩表現なの? → 比喩だとすると程度が低い
一般的なガチャと「親ガチャ」の対比 → なんか違う
「親ガチャ」を比喩表現だとする。
すると、
「親ガチャ」という言葉は
「一般的なガチャ」の概念を
借りた表現(たとえ)
ということになる。
なので
両者を比較してみる。
まず、
一般的なガチャというのは
- Aさんがガチャを引く(アクション)
↓ - ガチャの結果が出る(アクションの結果)
↓ - Aさんが出た結果を評価する(あたりはずれ等)
という流れのはず。
次に
Aさん視点の「親ガチャ」は
- Aさんの両親が子作りする(アクション)
↓ - Aさんが生まれる(アクションの結果)
↓ - AさんがAさんの両親を評価する(あたりはずれ等)
となる。
...なんかおかしくね?
「親ガチャ」を
「一般的なガチャ」に当てはめて
表現すると、
「ガチャされた結果(カード等)が、ガチャを引いた人を評価する」
ことになる。
これって比喩と言える?
ボクは言えないと思う。
それとも
ボクの認識がおかしくて、
一般的なガチャをする人たちって
引いた結果に評価されているの?
深淵をのぞく時、
深淵もまたこちらをのぞいているのだ
みたいな?
そんな馬鹿な。
とにかく、
「親ガチャ」を
「一般的なガチャ」でたとえるなら、
ガチャを引く人と
ガチャの結果を評価する人が
同じでないと
比喩として下手なのでは?
と、ボクは思うわけ。
なんで
比喩としては下手な表現である
「親ガチャ」が
ここまで世間に浸透したんだろう?
余談:「子ガチャ」なら、比喩としてはしっくりくる
話が逸れるけど、
これがもし「子ガチャ」なら
アクションする人と
その結果を評価する人が同じなので
一般的なガチャの比喩として
成立すると思う↓。
なぜ「親ガチャ」は浸透したのか? → 比喩ではなく、コピーだから
ボクは
これまで「親ガチャ」を
ずっと比喩表現だと思っていたので
モヤモヤしてたんだけど、
比喩ではなくコピーの一種だと
認識を改めることで腹落ちした。
「親ガチャ」はネットコピーの特徴に当てはまる
以前読んだ本に、
ネットに特化したコピーには
以下の特徴があると
書いてあったと記憶している。
- 短文である
- 断定している
- 雰囲気で伝わる(正確には伝わらない)
- 共感 or 反感 が含まれる
これらを「親ガチャ」に当てはめてみると、
- 短文である
→ 文ではないが、4字なので短い → 当てはまる - 断定している
→ 推定の余地が少ない≒断定している → 当てはまる - 雰囲気で伝わる(正確には伝わらない)
→ 正確?には伝わらないが、なんとなく伝わる → 当てはまる - 共感 or 反感 が含まれる
→ 上述のように反感(モヤモヤ)があった → ボクには当てはまる
ということでバッチリ当てはまる。
ってことで
「親ガチャ」は
比喩ではなくコピーである
というのがボクの結論。
まとめ
- 親ガチャという表現は適切な比喩ではないと思う
- 因果関係を考えると、子が親を「ガチャ」と表現するのはおかしい
- それでも「親ガチャ」が浸透している
- その理由は「親ガチャ」が比喩ではなくコピーだから
あースッキリした。
それでは~
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