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【モヤモヤ解消】「親ガチャ」は、比喩ではなくコピーである

〇その他(雑記)
〇その他(雑記)

「親ガチャ」という言葉が
世の中に浸透していると思うんだけど、
ボクはこの表現が
親に失礼だ、とか不快だ、とかではなく
比喩的に不適切(下手くそ)だと思うので、
この言葉を聞くたびモヤモヤする。

このことについて書いていく。

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「親ガチャ」は比喩表現なの? → 比喩だとすると程度が低い

一般的なガチャと「親ガチャ」の対比 → なんか違う

「親ガチャ」を比喩表現だとする。

すると、
「親ガチャ」という言葉は
「一般的なガチャ」の概念を
借りた表現(たとえ)
ということになる。

なので
両者を比較してみる。

まず、
一般的なガチャというのは

  1. Aさんがガチャを引く(アクション)
  2. ガチャの結果が出る(アクションの結果)
  3. Aさんが出た結果を評価する(あたりはずれ等)

という流れのはず。

次に
Aさん視点の「親ガチャ」

  1. Aさんの両親が子作りする(アクション)
  2. Aさんが生まれる(アクションの結果)
  3. AさんがAさんの両親を評価する(あたりはずれ等)

となる。

...なんかおかしくね?

「親ガチャ」を
「一般的なガチャ」に当てはめて
表現すると、

「ガチャされた結果(カード等)が、ガチャを引いた人を評価する」

ことになる。

これって比喩と言える?

ボクは言えないと思う。

それとも
ボクの認識がおかしくて、
一般的なガチャをする人たちって
引いた結果に評価されているの?

深淵をのぞく時、
深淵もまたこちらをのぞいているのだ
みたいな?

そんな馬鹿な。

とにかく、

「親ガチャ」を
「一般的なガチャ」でたとえるなら、
ガチャを引く人と
ガチャの結果を評価する人が
同じでないと
比喩として下手なのでは?

と、ボクは思うわけ。

なんで
比喩としては下手な表現である
「親ガチャ」が
ここまで世間に浸透したんだろう?

余談:「子ガチャ」なら、比喩としてはしっくりくる

話が逸れるけど、
これがもし「子ガチャ」なら
アクションする人と
その結果を評価する人が同じなので
一般的なガチャの比喩として
成立すると思う↓。

「子ガチャ」は(不快だとか失礼だとかは置いておいて)一般的なガチャと矛盾なく対応しており、比喩として成立している

なぜ「親ガチャ」は浸透したのか? → 比喩ではなく、コピーだから

ボクは
これまで「親ガチャ」を
ずっと比喩表現だと思っていたので
モヤモヤしてたんだけど、
比喩ではなくコピーの一種だと
認識を改めることで腹落ちした。

「親ガチャ」はネットコピーの特徴に当てはまる

以前読んだ本に、
ネットに特化したコピーには
以下の特徴があると
書いてあったと記憶している。

  1. 短文である
  2. 断定している
  3. 雰囲気で伝わる(正確には伝わらない)
  4. 共感 or 反感 が含まれる

これらを「親ガチャ」に当てはめてみると、

  1. 短文である 
     → 文ではないが、4字なので短い → 当てはまる
  2. 断定している 
     → 推定の余地が少ない≒断定している → 当てはまる
  3. 雰囲気で伝わる(正確には伝わらない)
     → 正確?には伝わらないが、なんとなく伝わる → 当てはまる
  4. 共感 or 反感 が含まれる
     → 上述のように反感(モヤモヤ)があった → ボクには当てはまる

ということでバッチリ当てはまる。

ってことで
「親ガチャ」は
比喩ではなくコピーである

というのがボクの結論。

まとめ

  • 親ガチャという表現は適切な比喩ではないと思う
  • 因果関係を考えると、子が親を「ガチャ」と表現するのはおかしい
  • それでも「親ガチャ」が浸透している
  • その理由は「親ガチャ」が比喩ではなくコピーだから

あースッキリした。

それでは~

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