森博嗣の
エッセィ集?になるのかな。
webで
隔週連載していた
記事の出版化。
ボクは
web掲載時に読んでいたので
本書は買わずに図書館待ちした。
いつもの森博嗣節全開で、
大変面白うございました。
概要
前述の通り、
隔週連載の
webエッセイの出版化。
全40回で、
数回分はweb未掲載っていう
よくある販売手法だったはず。
毎回、
- 著者の観察による日本社会
- 著者の日常
について書かれている。
後者はオマケっぽくて、
メインは前者。
なので
本書にはざっくり
40のテーマがある。
1テーマを
見開き2頁で
合計100個扱う
「つ」で始まるシリーズ
(感想記事はこちら)
とは違って
ひとつひとつのテーマが
深く語られている
ようにボクには感じた。
なので、
40テーマの中には
似た内容もあるにもかかわらず
本書全体で
よくある自己啓発書の
10倍くらい内容が濃い
と感じた。
濃すぎて
1回読んだだけじゃ
全然消化できた
気がしない。
しばらくたって
読み直すと
受け止め方が
変わるタイプの本だと思う。
全体の感想
著者の目から見た日本社会、ネット社会
前述のように
本書はテーマが
沢山あるんだけど、
全体に共通しているのは、
いずれのテーマも
著者の目から見た事象に対して
著者の考えを述べている
ということ。
ネットやSNS、
そして日本社会に
染まっている
人たち(ボクたち)の間では
なにも違和感ないんだけど、
それらの世界を
外から覗くと
「何やってんだこいつら?」
ってなる、みたいな。
そんな
「何やってんだこいつら?」を
いろんなことに対して
いろんな角度から
見せてくれるって感じ。
ボクが本書から受け取ったこと
ボクが今回
本書から受け取ったことを
箇条書きにすると、
- 自分で考えて行動しろ
- 考えるには客観性と抽象性が大切
- 自分は自分、他人は他人
- 他人に期待するな
- 他人に依存するな
- 他人に自分の価値観を押し付けるな
あたりかなぁ。
文章にすると、
世の中(他者)は
主に金稼ぎのために
ボク等をありとあらゆる方向から
洗脳しようとしてくる。
世の中(他者)から
無意識のうちに
刷り込まれていた
楽しさではなく
自分自身の楽しさを
見つけることができれば、
少なくとも
「孤独が怖い」なんて
思わなくなるはず。
洗脳に気付き
それを解除するには、
自分で考えることが必須。
自分で考えるときには、
客観&抽象&他分野への展開が
非常に役に立つ。
って感じ。
さらに言えば、
本書は
その客観&抽象&他分野への展開の
良い見本だと思う。
余談だけど、
この
「客観&抽象&他分野への展開」
っていうのは
まんまメモの魔力における
「抽象化」と「転用」
のことだよなぁ、と。
気になったフレーズ10選
ちょっと
気になるフレーズが
多すぎるので、
とりあえず書き始めて
10個になったら
そこで書くのをやめようと思う。
ということで
以下10選。
①現代人は、情けないほど忙しい。
みんな
他人のために時間を
使うことで忙しいんだなぁ、
っていうことを
的確に言語化してると思う。
情けない例↓
- 他者に報告できるような場所に行かなければならない
- 食事の前に写真を撮らなければいけない
②ちょっとした認識と注意で、不満から逃れることができる
主に
社会へのボヤきに対しての発言。
社会のシステムは
ひとりの力ではどうしようもない。
にもかかわらず
ボヤくのは、
自分以外の人に期待しているから。
なので
他者に期待しすぎない
という
ちょっとした認識と注意で
この不満から距離を置ける。
他人にあまり期待せずに、
自分の中の楽しみに
フォーカスした方が
人生楽しくない?
ってことかと。
ボクはよく
既得権益中間組織について
本ブログでも
ボヤいているけど、
たしかに
他人に公明正大さを
期待しているから
腹が立ってるんだよな。
公的組織に
公明正大さを期待しない
っていうのも
いかがなものかと思うけど、
そのことに
脳内キャパを奪われてたら
もったいない。
とはいえ
気になるものは
しょうがないから、
程よくウォッチしていこう。
③整頓をしても価値の増減はない
著者曰く、
「断捨離の効果は思い込みの類」
とのこと。
同時に
「人生の価値の大部分は思い込み」
とも。
大抵の趣味に対して
この構文は適用できるな、と思った。
ちなみに
ボクは断捨離によって
物理的/精神的に
余白が広がることに
価値を見出すタイプ。
片付けの抽象化&似た事例への展開
本編ではその後、
片付けを
- トータル価値は同じ
- 移動にエネルギーを使っている
と抽象化し、
似た事例として
- 電気自動車のエネルギー事情
- わざわざ満員電車で会社に出勤する人達
に展開して
話を進めていた。
勉強になるなぁ。
④非日常の行動はさほど必要ではない。思考はいつでも自由に非日常に飛び込める。p.130
思考は行動に
引っ張られがちだと思うので
訓練は必要だと思うけど、
たしかにその通りだよな、と。
「妄想(ゆめ)を裁く法律などない」
って古い歌詞が思い浮かんだ。
⑤「人間が書けている」作家は、現実にはあり得ない人を書くのが上手い
死体を見て
「キャー」って
悲鳴を上げる人なんている?
っていう話。
(かつては?今も?)
そういう
異様に芝居がかった、
それこそ物語の中にしか
でてこないような人間を
描写することが
「人間が書けている」
と言われていた(いる)らしい。
おかしな話だ、
とボクは思う。
ボクが日本の実写作品が苦手な理由
これが理由で、
ボクは日本の実写作品が苦手。
小説なら
文字媒体になっていることで
リアルから距離を置けるけど、
実写だと
リアルがそのまま映るから、
全部が学芸会みたいに
感じてしまう。
でも
それを突き詰めると、
そもそも観客を想定した
作りものである以上、
日常の隠し撮りでもしない限り
実写映像作品で
リアリティを表現するのは
不可能ってことか。
それが
作家、脚本家のジレンマ
だったりするのかな?
国外の実写作品でも
同様のことが言えるけど、
ボクは外国における
リアリティを知らないので、
仮にネイティブな人からしたら
違和感が凄いとしても
「こういうもんなんだな」と
違和感なく見ることができる。
⑥これが人間の使いかたというわけだ
休まず働く機械のように
人間を効率よく
働かせるために、
働くことに集中させ、
代わりに休日、酒、無礼講を与えた。
っていう内容からの
「これが人間の使い方というわけだ」。
うーん、
キレがすごい。
⑦生きる喜びは自己満足
凄く刺さった言葉。
これについては
そのまま引用する↓。
自分が好きなようにできない、と感じている人たちは、まるで自分の人生をコンテストに出品して、周囲から審査を受けるような具合に、日々を捉えているみたいだ。みんなに認めてもらわないといけない。周囲から褒められないと意味がない。大勢が賛同してくれないとやる気にならない。そんなコンテストを自分で妄想している。自分がそのコンテストの主催者なのに。
p.186
本当にこれ。
昔の自分に
聞かせてあげたい。
要は
自分で自分を縛ってる
ってことなんだけど、
「縛られている自分」は
なんとなく察せても、
「縛っている自分」には
なかなか気づけないんだよなぁ。
体験者は語る
必要な人に届かないもどかしさ
この手のアドバイス(?)
全般に言えることだけど、
必要な人の耳には届かずに
不必要な(解決済みの)人に
バッチリ届くんだよね。
既に
自分で理解している内容は
頭に入ってきやすいから
しょうがないのか。
せめて
自分はこの手のアドバイスを
受け入れられる側でいたいものだ。
余談だけどこれ、
似たようなことが
「あやうく一生懸命生きるところだった」
にも書いてあった気がする↓。
⑧商売にも他人を騙す要素が潜んでいる
宣伝というのは、騙す行為を少し薄めたものであり、基本的には(詐欺と)同じ方向性といえる。
p.210 ()内はボクが追記
これ、
あるあるネタのベクトルで
本書でボクに一番刺さった。
以前ボクも
似た内容の記事を
書いた気がする↓。
モノを売ってる人って、
この辺の「詐欺成分」と
どう折り合いを付けてるんだろ?
そういう意味でも、
雇われて給料をもらう
っていうのは
よくできたシステムだな、
と思った。
⑨言葉を言葉通りの意味に解釈するのは、素直すぎる?
いちいちそんな(挨拶の言葉が持つ意味に)責任を感じずさらりと挨拶としていればよい。というのが社会の常識だろうか?おはようございます。だって早くなくても言えるから、挨拶にはそもそも意味はないのかもしれない。
(中略)
もっと無責任なのは「応援しています」だと思う。応援することで、どんな影響があるのかは知らないけれど、精神的にプレッシャーをかけるのは確かで、その言葉で相手を緊張させるかもしれない。
p. 230 ()内はボクが追記
「どうしてこんなミスが起きたの?」と質問すると、そのミスを責めているように受け取られる。(中略)「どうすればミスを防げますか?」と質問しても、「今後は気をつけます」といわれる。気をつけているだけで防げるものなのか、それは少し違うだろう、といいたくなってしまう。
p. 262
これ、
あるあるネタのベクトルで
本書で二番目に刺さった。
以前ボクも
似た内容の記事を
書いた気がする↓。
⑩【他者依存】自分の幸せを自分だけで噛み締めることができない
素晴らしさを一人では処理しきれない。誰かに見てもらって、その人が感動する様を確認しないと、本当に幸せなのかどうか判断できない。だから、写真や動画を撮って、他者に見せなくてはならない。
中略
自分自身の内から湧き上がってくるはずの感情まで、他者によって支配される状況であり、これは「他者依存」といっても良い。
p.246
「他者依存」は
専門用語ではなく、
著者がそう呼んでいるだけ
とのこと。
こちらは
適切な言語化によって
モヤモヤが晴れた
というベクトルで
一番刺さった内容。
何でボクは
旅行先で写真を撮るのか、
ブログを書くのか、
その理由に触れられた気がした。
ってあれ?ボクは他社依存ではないかも
この内容で
ボクに関して
ひとつ言えるのは、
実際に他人に
見てもらわずとも、
誰かに見てもらった気に
なれさえすればよい
ってことかな。
あれ?
でもそうだとすると、
他者の反応を
見なくていいってことだから
別にボクは他者依存って
わけではなさそう。
うーん、
じゃあ
何でボクは
自分しか見ない写真を撮ったり
誰も見ないブログなんか
書いてるんだろ?
噛みしめる手段としてのブログ書き
たぶん、
写真については
記録として
後から見返せるように、
ブログについては
アウトプットすることによって
それらの情報を
消化したと思えるから
それぞれ
撮ったり書いたりしてるんだろうな。
現に
この記事は本書を
消化するために書いてるわけだし。
写真については、
別に撮らなくてもよくね?
と思えてきた。
でもたぶん撮り続ける
10個書いてしまったので
ここで終了。
良い本でした。
まとめ
- 「静かに生きて考える」を読んだ
- 内容が深くて一回読んだだけでは消化しきれなかった
- 忘れた頃にまた読もうと思う
- 今回読んで受け取った内容↓
- 自分で考えて行動しろ
- 考えるには客観性と抽象性が大切
- 自分は自分、他人は他人
- 他人に期待するな
- 他人に依存するな
- 他人に自分の価値観を押し付けるな
それでは~
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