図書館でやたら人気だった本。
たしかにタイトルは興味深い。
読めなくなる理由は
容易に想像できるけど、
そこをどう上回ってくるのかを
期待して読み始めた。
で、
読後の率直な感想は、
「なんでこの本そんなに人気なんだ?」
というもの。
内容についてはもちろん、
その辺についての感想も書いていく。
※読了日:2025年4月
概要 (ボクの解釈)
本書は、
現代の日本人が
本を読めなくなった理由を、
労働と読書の歴史から導き出そうとする本。
構成としては、
- 前半(歴史パート):明治以降の歴史
- 後半(現代パート):90年代以降の現代社会
- まとめパート :まとめと提言
という三部構成。
前半の歴史パートでは
いろんな事例を出しながら
読書が
「階級上昇や仕事に役立つもの」として
位置づけられてきた過程を述べ、
後半では
現代人は欲しい情報だけを
求める傾向にあるがゆえに、
他者の文脈や偶然性を含む
「読書」がしんどくなっていると述べている。
要するに、
- ネットや自己啓発:ノイズのない情報
- 読書 :ノイズ込みの情報
であり、
現代人は効率重視になっているので
読書を避けるよね、って話。
これがタイトルに対する回答。
で、その後は提言で〆。
本を読めるようにする
(=非効率を受け入れる余裕を確保する)には
単に時間を確保すればいいだけじゃなくて、
仕事に100%没入しない
「半身で働く」姿勢が大事であり、
それ即ち
働き方そのものを問い直す必要がある、とのこと。
以上が
ボクの解釈による本書の概要。
感想 (内容に対して)
内容に関するざっくりとした感想は、
- タイトルに対する回答は予想通り
- 前置きを明治時代から始める必要ある?
- 随所に漂うツギハギ感
- 流れにそぐわない結びの「これじゃない」感
- ってか他著と矛盾してない?
って感じ。
トピック分けするとネガティブ多めだけど、
ちゃんと得るもの/考えることがあったので
読んでよかったと思っている。
以下、それぞれ書いていく。
タイトルに対する回答は予想通り
だいたいあってた
タイトルの
なぜ働いていると本が読めなくなるのか?
対するボクの(実体験から来る)予想は、
仕事で精神力を消耗しているから
受動的なネットに流れてしまい、
能動的でエネルギーが必要な読書ができない
というもので、
これは「大体あってた」という認識。
甘めの採点
本書を読んで、
以下の補助線を得たことにより
解像度が増した感じ。
「ノイズ」という補助線
本書では、
ネットで消費しているもの(情報)と
本を読むこと(読書)を以下のように
区別している。
【情報(ノイズのない知識)】
自分が「知りたい」と思ったことそのもの。
ネットや自己啓発書、
ファスト教養コンテンツのこと。
今の状況に不要な文脈や
制御できない社会問題は
「ノイズ」として徹底的に除去されている。
【読書(ノイズを含む知識)】
自分が「知りたい」と思ったこと+周辺知識。
自分の予期しない展開、他者の文脈、
歴史、社会の複雑さといった、
自分にとって
「制御不可能な偶然性」が含まれている
って感じで、
今必要な情報「以外」を
「ノイズ」としている。
働いているとノイズを受け入れる余裕がない
このノイズという補助線で、
働いていると本が読めなくなる理由が
説明しやすくなる。
つまり、
現代の働き方では
「いかに効率よく生産性を上げるか」が
求められてるので、
自分の行動に直結しない「ノイズ」は
邪魔なものでしかなく、
ノイズまみれの「読書」という行為は
回避される、ということ。
もう少し言えば、
生産性向上のために犠牲になっているのは
「時間」だけでなく「精神的余裕」も含む。
なので
仮に時間があっても
(ノイズの塊である)「読書」をせずに
ネットの「情報」に流れてしまう、と。
映画はネタバレを読んでから見る
って話を聞いたことがあるけど、
それも「事前のノイズ除去」
ってことなんだろうな。
余談:ボクの人生における仕事はノイズ
このノイズ論を
在職時のボクに当てはめると、
「ノイズ=仕事」となる。
退職した現在のボクは
人生からノイズを除去することに
成功したわけで、
時間と心の余裕が確保できて
確実に良い方向に
舵を切ったのではなかろうか?
無職5年目、
現段階では順風満帆。
前置きを明治時代から始める必要ある?
閑話休題。
「ノイズ」を補助線にして
タイトルに対する回答は回収できたんだけど、
本書を頭から読んでて思ったのが、
「なんで明治時代の労働と読書から始めるの?」
っていうこと。
なんか理由は書いてあったと思うんだけど、
正直頭に入ってこなかった(笑)
たぶん、
着地点に必要な
現在の働き方が生産性第一になった経緯
を書きたかったんじゃないかな?
知らんけど
そういう観点で思い出すと、
こんなことが書かれてた気がする↓。
昔は「過去や余所事を知っていれば偉い」という価値観
↓
それらを知るには情報源にアクセスする権利(≒偉さ)が必要
↓
ゆえに「平民からの成り上がり」は非常に困難
↓
なんやかんやあって
↓
「だったらそんな偉さはいらん!」
「大事なのは今(と未来)だ!」
↓
「今、自分に関係ある情報しかいらん!」←今ココ
※記憶を頼りに書いているので全然違うことを書いているかもしれない
働いていなくても本書が読めない(笑)
ここまで書いてて気づいたけど、
これ(歴史パートの意義がわからないこと)って
そのまんまさっき書いたことで、
「歴史パートはボクにとってノイズ」
ってことだよね。
明治~平成初期の歴史は
ボクからしたら
いろんな意味で「遠い」ので、
自分と結びつかない
(=すぐには役に立たない)
↓
役に立たない情報を
インプットするほど余裕がない
↓
余裕が無いから理解する気で読まない
って感じ。
ボクは無職で
時間と心の余裕はあるから、
厳密には「興味関心がない」んだけど、
まぁ似たようなもんでしょ。
いや、
別に働いていなくても本が読めなくなるなら、
なおのこと
歴史パートの意味が無くなるのでは?
…謎は深まるばかりだ。
タイトルの罠
深まる謎は棚上げして、
少なくともひとつ言えそうなのが、
本書のタイトルのような
「なぜ〇〇だと××しないのか?」構文には
罠があるということ。
それは、
「××している〇〇の存在」や
「○○じゃなくても××しない存在」を
隠してしまっていること。
本書の場合、
働いていても本が読めている人は存在するし、
本を読めなくても働いていない人も存在する。
にもかかわらず
「働いていると本が読めなくなる」
とすることで、
心当たりのある人により深く刺さって
購買意欲を掻き立てるように
設計してるんじゃないかな?
「この本、私のことだ」現象
タイトルについては後述するけど、
本書は内容というよりも
こういうテクニックで売れたんだと思う。
、、、まぁいいや。
とりあえず思ったことは、
本書が指摘する
「現代人が本を読めなくなっている構造」
(に少なくとも似ている構造)
を本書自体でボクが体現してて草、
ということ。
随所に漂うツギハギ感
別の話題。
さっき、
(歴史パートは)着地点に必要な
「現在の働き方が生産性第一になった」経緯
を書きたかったんじゃないかな?
って書いたけど、
本書全体を通して、
結論ありきで
そこに着地させるために
必要な材料を切り貼りした感じ
を受けてしまった。
なんでだろう?
そう思ったピンポイントな
具体例は出せないんだけど、
前半の歴史パートは
著者が自分の言葉で
順を追って進めていくというより、
都合のいい他人の言葉を
方々から探してパズルみたいに並べて
そこから自身の主張を
無理やり導き出したような違和感を感じて、
後半の現代パートは打って変わって
自身の主張(考察?)成分が強く、
引用が「花束みたいな恋をした」の
1作品から繰り返されるだけの印象で、
これまた違和感を感じた。
で、
前半と後半のギャップで
さらに違和感ドン!みたいな。
なんていうか、
「あぁ、現代パートは
著者の主張を補強する資料が
これしかなかったんだな」
って思ってしまった。
流れにそぐわない、締めの「これじゃない」感
で、
ツギハギの違和感のとどめ?が
〆の「これじゃない」感。
その理由は主に以下の2つ。
- タイトル回収がされていない感
- 唐突な他人の言葉での締め
それぞれ書いていく。
タイトルの疑問、投げっぱなしで終了?
「これじゃない感」の原因のひとつが、
タイトルが
なぜ働いていると本が読めなくなるのか?
なのに、
それに対する回答をバシッと
書いてくれていなかったこと。
一応
現代パートのところで
回答を出してはいるんだけど、
まとめパートには
それが無かった(と記憶している)ので
締まらないよなぁ、と。
いきなり出てくる他人の言葉で終了
もうひとつの原因は、
歴史パートでは
あれだけ長々と読書と労働について
資料をもとに述べていたのに、
ここにきていきなり
ふわっとした根拠?で
サラッと主張して締めていたこと。
しかも他人の言葉で。
その主張とは
「半身(はんみ)で働く」というもの。
意味するところは、
現在は多くの人が
「労働が中心の人生」
「仕事に全身全霊の人生」
になりつつあるので、
そうじゃなくって
「ノイズを受け入れる余裕のある人生」
「仕事半身、それ以外半身の人生」
を送ろうぜ、
ということだと理解している。
こうやって文字に起こすと
普通の結論なんだけど、
「なんだかなぁ」って思ってしまうのは
たぶんボクの感情的な拒否感によるもの。
っていうのも、
「半身で働く」っていうのは
上野千鶴子氏の言葉らしい。
ボクは彼女(の言動)に
あまりいい印象を持っていない。
それがいきなり出てきて
本書の締めのいいところを
かっさらって行ったわけで、
反射的に「坊主憎けりゃ~」で
本書の結論にまでネガティブな印象を
抱いているだけかもしれない。
ってか他著と矛盾してない?
以上で
本書の内容に関する感想は
おしまいなんだけど、
もっと根っこのところで
気になった点がひとつ。
『「若者の読書離れ」というウソ』という本がある
以前
「若者の読書離れ」というウソ
っていう本を読んだんだけど、
なんかそこで書かれてた内容と
本書の内容が矛盾、は言い過ぎにせよ、
やっぱり
「働いていると本を読めない」
っていう部分に
著者の思い込みというか希望というか、
ズレた前提があって、
そこから話を組み立てた感が
してしまうなぁ。。。
さっき
本書全体を通して、
結論ありきで
そこに着地させるために
必要な材料を切り貼りした感じ
を受けてしまった。
って書いたばかりだけど、
この説が補強されちゃった感じ。
件の本の感想↓
この本はボクの記憶だと、
少なくとも若者の読書量に関しては
ネットやスマホ
(=本書で言うノイズの無い情報)
の普及による影響はない
って話だったはずで、
これは本書における
働いていると本が読めなくなる理由
(=ノイズを受け入れる余裕がない)
とは矛盾する。
まぁ
あっちは若者でこっちは社会人っていう
違いがあるからセーフなのか?
論文じゃないからセーフ、ってコト?
もっと見ていくと
決定的な矛盾が出てくるかもだけど、
ここまでにしよう。
結局のところ、
これらの新書は
論文じゃなくてエンタメ本という
位置づけだから、
校正こそあれ査読はない
ってことなんだろう。
しらんけど
以前
「アメリカは自己啓発本でできている」
という本を読んだときに、
こういう人文系の分野は
個人の趣味と学問の差がわからない
(データへのアクセスが容易になったネット普及後は特に)
って書いたけど、
この辺の前提(というかデータ)の信頼度が
論文だと高いって見做していいのかな?
しらんけど
やっぱり工学系と違って
アウトプットが
モノとして機能しないから
似非と本物の区別が素人にはつかない
っていうのが人文系?の
危ういところだよなぁ。。。
件の本の感想↓
感想 (評判に対して) → 別記事へ
次は本書の評判についての感想。
冒頭に書いたけど、
「何でこの本こんなに人気なの?」
というのが
内容よりも先に出てきた感想。
結局は
アテンションエコノミーってやつなのかな?
ちょっと思ったことを書いていく。
、、、と思ったけど別記事に↓。
まとめ
- 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか?」を読んだ
- 回答は、現代人にノイズを受け入れる時間と心の余裕が無いから
- ノイズとは「自分が知りたいと思ったこと『以外』」
- 本書の前半が、ボクにとって正に「ノイズ」だった
- つまり「働いていなくても本は読めなくなる」
- タイトルのつけ方って大事なんだな、と
- 全編通したときに感じるツギハギ感が気になった
- タイトルと結論がズレていて気になった
- なぜ本書が売れているのかが気になった(これについては別記事で)
最後に。
本書を読んで
自分に取り入れよう思った点は、
やっぱりノイズに対する考え方。
さすがに
「ノイズに対してもアンテナを貼っていく」
までは無理だけど、
「ノイズを遮断しない」程度ではいたいと思う。
そういう意味では、
一応本書の歴史パートを
飛ばさずに目を通したことは
評価していいんじゃないかな。
あまり頭に入ってないけど
以上、
それでは~
同系統のタイトルのベストセラーとして、さおだけ屋はなぜ潰れないのか?がある







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