この記事は
要約記事の続き。
要約記事はこちら↓。
感想と銘打ってはいるけど、
内容への言及よりも
本書をフックにした
本書と関係のない考察や
自分語りが多くなった気がする。
つまりいつもどおり
長くなったので
ざっくりまとめると、
- 魅力改善手段の2つは両立不可では?
- 魅力改善トレーニング例の「伝え方」、下手じゃね?
- なんで著者が「エビデンスを見分ける講演」してるんだろう?
- ひねくれた感想を書くボクは「性格が悪い」だけ(笑)
って感じ。
「本心を明かさない」も「嘘」の範疇 → これ、わたしのことだ…!
魅力欠如の
3要素のひとつである「嘘が多い人」。
そういう人に向けた
魅力改善トレーニングのひとつに、
「ニーズ目録」というものが
紹介されている。
これは、
以下のような人に対して
効果的なワークとのこと↓。
残念なことに、真生性が低い人の大半は、自身のニーズを把握するのがうまくありません。本心を明かさないコミュニケーションを長く続けてきたせいで、「私は何を求めているのか?」を感知する能力が下がってしまうからです。この状態を放っておくと、やがてあなたは周囲から「何かを隠している」「本心がわからない」などの印象を持たれるようになり、ひいては人としての魅力が下がってしまいます。
p118-119
これがまんま自分のことでウケた。
過去何人から
「お前は何考えてんだかわからん」
と言われたことかwww
主に目上の人から
本心を言っていいの?ってなる
当事者?として言わせてもらうと、
「ニーズを把握していない」以外にも
理由があって、
それは
「本心を喋ると嫌な奴になる」と
認識(誤解?)しているから
それを隠しているということ。
このブログによく書くような
批判的/皮肉的/非共感的内容を
対面で相手に言うと良くない
ってことくらい
さすがにわかっているつもりだから、
ボクとしては
コミュ力を上げる(下げない)ために
自分に嘘をついていた
(思ったことを言わずにいた)んだけど、
それが
逆効果だったかもしれないってコト?
これ両立不可じゃね?…詰み?(笑)
でも一方で、
本書によれば
「嘘が多い人」以外にも
魅力欠如要因があって、
それは「性格が悪い(=嫌な奴)」。
要約で書いた通り、
性格の悪さを改善するには
- 強い言葉を避ける
- 相手の視点に立って物事を考える
といった
ある種の人格矯正(≒自分への嘘)が必要。
、、、これ詰んでね?(笑)
本心を言って嫌な奴のまま
or
嘘をついていい人になる
の二択ってこと?
本書には
この矛盾が起こりうることについての
言及はなかった気がする。
本書は論文のキュレーション。
個々の論文内容の”つなぎ”に関するデータは
無かったものと思われる。
ただ、
嘘をついて(=本心を明かさなくて)も
「こいつの考えてることはわからん」って
魅力が下がってしまうことが
(ボクに関しては)実証されているわけだから、
嘘をついて性格を良くすることは
(ボクには)難しいってことかと。
可能性としては、
嘘をついて性格を良くした結果、
「よくわからんやつ」評価で済んでいた
(=嘘をついた効果はあった)ということもあり得るけど。
リアル人格とブログ人格で棲み分けてた
ってことは逆の
「本心を言って性格を悪くする」の方が
ボクには効果的なのかも?
って考えた時に、
このブログでは
対面では言わないこと(≒本心)を
書きまくっているから、
ブログのボクと
リアルのボクがちょうど
- 本心を言う嫌な奴(ブログ)
- 本心を隠すよくわからない奴(リアル)
として
機能していることに気がついた。
どちらが魅力向上に
より寄与しているのかを比較するには
まとまった人数に
このブログを
読んでもらう必要があるけど、
過去4年間のブログ実績を鑑みるに
それはなかなか難しい。
ってことで
- 本心を言う嫌な奴と
- 本心を隠すよくわからない奴
の比較は現時点では困難。
そもそもコミュ力発揮の場がないって話
っていうか
リアルとブログの共通点として、
どちらも他者との関り自体が少ない
っていうのがあることに
気付いてしまった。
打席に立たなきゃ
そもそも良い方も悪い方も
結果が出るわけないってやつ。
そう考えると、
そもそもボクはどうしてこんな
「コミュ力のつくりかた」なんて本を
読んだんだ?(笑)
野球しないのにバットを買った、みたいな
やっぱり伝え方も大事だよな、と思った
話題を変えて次の感想。
魅力改善の
トレーニングとして、
「メタトーク」というものが
挙げられていた↓。
【メタトークとは】
自分に嘘をついてしまう人に有効なトレーニングで、
会話の内容からは一旦離れて
①今私たちはどのようにコミュニケーションを進めているか、
②私の中にどのような心の動きが起きたか
の2つだけを意識して言語化していく手法のこと。
で、
この例文に
リアリティがなさ過ぎて、
「このトレーニングをすること自体が
本人の魅力を下げるんじゃね?」
と思えてしまった。
具体的にはこんな感じ↓。
相手が延々と喋り続ける場合(のメタトーク)
「こちらの返事も聞かずに話し続けられると、私の意見は必要とされていない気分になります。一旦このことについて話し合いませんか」相手がこちらの考えを決めつけてくる場合(のメタトーク)
メタトークの説明部分より抜粋(音声入力によるメモのため、本文ママではないかも)
「あなたが私のことを決めつけていることに苛立ちを感じています。自分の考えを決めつけられると、私はあなたから見下されているように感じるのです」
、、、どう?
これはあくまで一例で、
他にも
「学芸会の台本の方がリアリティあるぞ」
っていう会話例が散見される。
ボクの印象として、
こんな構文を使ってくる人は
「お気持ち表明で被害者ポジションを
取りに来る厄介な人」
の確率が高いと思うんだけど、、、
だからもし
こういう人が職場にいたら、
ボクはその人から
そっと距離を置いて
最低限のコミュニケーションしか
とらなくなると思う。
それって本書のタイトル、
「コミュ力のつくりかた」的に
どうなんだろう?
「小手先のテクニックは不要、
大事なのは人としての魅力」
「伝え方が9割ではなかった」
っていう本書の言い分は
理解できるんだけど、
この例文群を読むと、
「やっぱり小手先の伝え方も大事だよな」
と思わずにはいられなかった。
まぁ8割5分だとしても「9割ではない」からね
ズレた評価軸で権威が生まれるという歪み
また別の感想。
本の内容とは関係ないんだけど、
気になったことがある。
それは、著者が
「ヘルスケア企業などを中心に、
科学的なエビデンスの見分け方などを
伝える講演をしている」
ということ。
「売れる論文キュレーション本が書ける=科学的エビデンスを見分けられる」ではないはず
著者の能力で
認められているのって
「売れる論文キュレーション本を書けること」
であり、
決して
「科学的なエビデンスを見分けること」
ではないと思う。
著者はあくまでも
論文のキュレーターであり、
言ってしまえば
Youtubeの切り抜き動画投稿者と
やってることは
同じ階層だと思うんだけど、
ちがうのかな?
一次情報源が論文か時事ニュースかの違い
言い換えると、
論文の内容は正確だとしても、
それを切り貼りした
著者の本の内容の正確性は
誰からも担保されていない。
にもかかわらず、
「ヘルスケア企業などを中心に、
科学的なエビデンスの見分け方などを
伝える講演をしている」
っていうところに
なんていうか歪み?を感じる。
ボクが複数人のメジャーリーガーの
バットやグラブを何個も持っているとして、
だからといってボクに野球を教える実力があるか?って話
世の中歪みだらけ
、、、って思ったけど、
世の中そんなのばっかりか。
AIに抽象化してもらったところ、
そういう人達の共通点は以下の通り↓。
- 一次情報ではなく二次情報を扱う
- それを一般向けに翻訳する(翻訳の質は問わない)
- その翻訳が評価される
- その評価が権威になる
- その権威が意思決定に使われる
ここから考えると、
ボクの言う”歪み”の根本は、
本来評価されるべき一次情報を
評価することが難しいがゆえに
代わりに別のもの(翻訳)が評価され、
それに対して権威が
生まれてしまっていること。
そしてそれに気づいていない人が多いであろうこと
今回の話の場合、
本来評価されるべき
論文の執筆者たちではなく、
それらをわかりやすく(質は問われない*)
まとめて発信した著者が評価され、
それを権威に著者が講演をしている
(ように見える)ところに
ボクは歪みを感じている。
※本書の質が悪いと言っているわけではない
カリスマ性も歪みの一種だった?
すごいこと?に気付いてしまった。
これ、
要約記事で書いた
「カリスマが魅力的な理由」のフローも
とても似た構造をしている↓。
- 真正性/有能性/人格性が揃っている
↓ - 本能的に「この人は自分を裏切らない」と評価される
↓ - 魅力が上がる
↓ - (内容によらず)発言の影響力/説得力が増す
(これが「伝え方は9割ではない」ということ)
↓ - 周囲からの自発的サポートが集まる
↓ - 人生の満足度が上がる
↓ - 満足感が更なる魅力を醸成する
↓ - 正のスパイラル
カリスマ性のフローの場合、
本来評価されるべき
「発言内容」ではなく、
そのカリスマ性により
「好感度≒信頼度」になっているので
「誰が言ったか」で評価され、
発言者の権威がさらに増す。
これを上述のフローでは正のスパイラルと表現している
ってことは
カリスマ性も歪みであり
正当な評価ではないということ?
これはどうなんだろう?
実力?を伴った
カリスマが存在するのは事実。
あ、
でもそれは
切り抜き動画投稿者や
著者にも言えるか。
評価指標が歪んではいるけど、
それが彼らの実力がないことと
イコールではない。
以下、
「カリスマ」との対比として「切り抜き動画投稿者」を使う
カリスマ性と歪みの共通点と相違点
ちょっと整理してみる。
切り抜き動画投稿者と
カリスマの共通点は
信頼 → 影響力 → 自己強化ループ
という構造。
そして違いは信頼の根拠で、
- 信頼の根拠が「本人の人格」 → カリスマ
- 信頼の根拠が「一次情報由来の”それっぽさ”」 → 切り抜き動画投稿者
って感じか。
つまり、
カリスマにも
「評価対象のズレ」という
歪みは存在するものの、
どちらも
カリスマ本人由来のものだから
違和感が少ないってこと。
それに対して
切り抜き動画投稿者は、
前述の通り
他人のフンドシを信頼の根拠にして
影響力を持ち、
それを権威として利用しているので
ボクには歪みに見える。
この整理だと、
切り抜き動画投稿者についても、
著者が講演してることについても、
(これまでに触れてないけど)情報商材屋についても、
そして
少し前にモヤっとして
記事を3つも書いてしまった三宅香帆氏の本
についても、
綺麗に説明がつくんじゃないかな。
そもそも全てを「正当に評価」することは不可能
少し視野狭窄感があるので
視野を広げて考えると、
ボクは
「歪み」という言葉を使ったけど、
そもそも全てを
正当に評価することなんか
できないんだから、
このような構造(歪み)ができるのは必然。
そして
ビジネスの本質(のひとつ)は
「面倒なことをやる代わりにお金を貰う」
であり、
一次情報の正当な評価が
面倒なことである以上、
切り抜き動画のような
ビジネスに人が群がるのも必然なのか。
またひとつ
資本主義の闇?を
別角度から
言語化してしまった気がする。。。
ズレの存在を意識することが大事
色々書いたけど、
結局は受け手のリテラシー
ってところに落ち着いてしまう。
なので
少なくとも自分が
情報に触れるときは、
その発信者と情報源について
ある程度意識するようにしよう。
ちょうど
本書に対して意識して
ここまでグダグダ書いたように。
辿り着いてしまった結論
これまで感想と称して
散々本書をダシにして
どちらかといえば
ネガティブなことを
ギャーギャー書いてきたけど、
本書の言葉を使って
これらを一言で
説明できてしまうことに気がついた。
ボクは性格が悪い。
性格が悪いボクが本書を読むと、
上述のような
- 魅力改善手段の2つは両立不可では?
- 魅力改善トレーニング例の「伝え方」、下手じゃね?
- なんで著者が「エビデンスを見分ける講演」してるんだろう?
といった感想が出てくるけど、
魅力の高い人が読めば
- 魅力改善手段は独立してるから両立可能
- 魅力改善トレーニング例は「伝え方」が下手なんて思わない
- 著者が「エビデンスを見分ける講演」をしてるのは自然なこと
といった感想
(というか書いてあることを素直に飲み込むだけ)
になって、
感想としてはもっと
ポジティブなもの
(○○がタメになったとか)が
出てくるんだろう、きっと。
もうこのままでいいや(諦め)
ただ、
ボクはこうやって
ひねくれた視点で
あれこれ考えるのが好きで、
それが本書で最後に書かれている
「満足する自分の人生」の一部なので、
そのままでいいかな、
と思っている。
さっきも書いたけど、
今のボクの生活は
人と接する機会がないから
コミュ力(=魅力)を鍛えても
発揮する場がないわけだからね。
本書を読んだ意味とは?(2回目)
論点のすり替えなのは
自覚してるけど、
もうそういうことにしておこう(笑)
まとめ
- 「最強のコミュ力のつくりかた」を読んだ
- 「性格改善」を「自分への嘘」と捉えると、「性格が悪い」と「嘘が多い」を両方治すのは厳しそう
- 魅力改善トレーニングの会話例が現実離れしていて、「伝え方」の重要性を実感した
- 著者が「論文キュレーション本の書き方」以外で企業に講演していることに歪みを感じた
- 歪みの原因は評価軸のズレであり、このズレは現代社会では回避困難
- 回避困難でも、情報に触れる際は常にズレの存在は把握しておきたい
- ひねくれた感想しか出てこないボクは性格が悪いに違いない
以上、
それでは~




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