阿部元監督のアレコレを見てたら
地域の不審者情報を見て
思ったことが想起されたので、
それについて書いていく。
微妙にセンシティブ?かもしれない。
地域の不審者情報に突っ込みを入れる
不審者情報の内容例
ネットで
自分の住んでいる地域の情報を見ると、
たまに不審者情報が流れてくる。
それは
日時、場所、内容という3項目で
報告されているんだけど、
最近の【内容】を
抜粋するとこんな感じ↓

「下半身を露出」
→どう見ても不審者

「つきまとう」
→明らかに不審者

「周りをうろつく」
→たしかに不審者

「ジロジロ見た」
→んっ?これ不審者か?
ってか不審者情報多いな。ヤバくね?
これ、どう”不審”だったの?
もちろん、
客観的にどう見ても
不審者だった可能性はある。
ただ、
「(バス)乗車中の
女子中学生数人をジロジロ見た」
という文章だけでは、
「ぼーっと外を見ていた視線の先に
女子中学生が乗ってきた」場合も
この書き方になり得るよな、
と思った。
なぜなら
上の3つと違って、
視線にはアクションが伴わないから
受け手(or 観測者)の匙加減で
どうとでもなってしまうので。
不審者通報のハードルは下げていいけど、報告内容は具体的な方がよくね?
誰(当事者 or 観測者)が
通報したのかはわからないけど、
通報した際は
もっと状況を詳細に説明して
如何に不審者が不審だったかを
具体的に伝えていたはず。
なので、
不審者情報として流すなら、
もう少しどう不振だったかを
具体的に記述をした方がいいのでは?
と思った次第。
紙媒体なら紙面の都合で短く伝える必要があるけど、
ネットなら紙面は無限なんだから。
例えば、
「10秒以上ずっとこっちを見つめてきた。
こちらが人陰に隠れても、
その人物は位置を変えて見続けてきた」
みたいな?
これならアクションを伴うので、
客観的に見ても「まぁ不審だよな」って思える。
誤解されるとアレだから
言い換えると、
不審者報告は
どんどんすればいいけど、
それを公表するときは
どう不審だったのかをちゃんと
記載した方がいいよね、ということ。
そう思う理由は以下。
一時の感情が不審者を増産しうる
っていうのも、
漠然とした内容を
不審者情報に載せてしまうと、
「こんなことでも
不審者通報していいんだ」
と理解する人が出てきて、
不審者通報のハードルが
下がり過ぎてしまうと思うから。
いや、
通報のハードルが下がることは
予防の観点では好ましいし、
阿部監督の事件でも
一部の人が言っていたけど、
実際警察や児相は
(自称)被害者を守るために
初動は過剰気味に動くらしい。
ただこれの問題は、
不快だったことと
不審者認定することとの間には
本来かなり距離があるはずなんだけど、
この過剰さのせいで
その距離がどんどん
短くなっている気がするということ。
今がピーク?否
これが行き過ぎて
両者の距離がゼロに近づくと、
被害申告者の
お気持ちによる行動で、
加害者とされた人が
犯罪者にされ得る危険がある。
これが阿部監督事件の構造だと認識している
つまり現状は
「被害者を出さない」という
立場にとっての安全側に
偏っているということ。
「被害者が減る」
という意味では安全側だけど、
「加害者にならない」
という意味では
むしろ危険になったといえる。
今後冤罪が増えるんじゃないかな?
さすがにこの状態は
一方に振り切れている状態だと思うので、
ここから十数年、数十年かけて
揺り戻してバランスのいいところに
落ち着いていくんじゃないかな?
…と思ったけど、
主に被害者が子供と
想定されている場合、
今後少子化でますます
被害者(=子供)保護優先になると
考えられるので、
今が振り切れている状態では
ないのかもしれない。
もしそうなら、
今後は被害者保護が
過剰になると同時に、
過剰なせいで発生する
冤罪被害者保護の仕組みが
作られていくんだろうな。
ってか作られなきゃマズくね?
ハズレて欲しい予想をしてみる
ただ、
仕組みの構築速度は
世の中の流れよりかなり遅いので、
仕組みが整うまでに
多数の冤罪被害者が出てくると予想。
たとえば、
阿部監督の件は親子だったけど、
そのうち学校内で
「後ろの席の○○さんが
授業中じっと見てきて不快」
みたいな感じで
クラスメイトを不審者に
仕立て上げちゃうケースが
出てきたりして。
さすがに無いかな、
と思うけど、
阿部監督の事件を見てしまうと
無いとも言い切れないところが
なんとも…
結論:主張は根拠と共に示してね
…この方向で
これ以上話を進めると
加害者(不審者)擁護/被害者の敵
みたいに読み取られかねないから、
ここで止めておこう。
もう遅いかも?
色々書いたけど、
ここで言いたかったことは、
不審者情報には
”不審”の根拠を具体的、
客観的に書くべきではないか
ということ。
それだけ。
そもそも「不審」って何だ?
話題修正。
不審者の本質としてよくある話に、
「公園で一人ベンチに座っている人」
は不審者になり得るけど、
その人が
子連れだったり犬連れだったりすると
急に“不審感”が消える、
みたいな話がある。
見つけてきた→これのこと(ベンチにすら座ってなかったw)
つまり、
ある人が
そこでそれをしている目的、
というか役割がわからない
(or わかるけど常軌を逸している)から
不審なのであって、
第三者からそれらが想像できれば
(and それが常識の範囲内なら)
不審ではないということ。
子連れなら保護者として
子供を見守っているから
不審ではない。
犬連れなら飼い主として
散歩中だから不審ではない。
これは
「不確定を嫌う」
「因果を結び付けたがる」という
人間の本能に基づく反応なので
しごく当然かと。
現代社会は「第三者から見て理解可能な役」を演じるのが安全側
バス内では、
スマホを見ていれば自然に見える。
本を読んでいても自然。
窓の外を
ボーっと眺めていても自然。
それらは
「移動中の乗客」と見なされる。
でも、
ボーっと眺める視線の先に
女子中学生がいれば、
「移動中の乗客」ではなく、
「女子中学生を見ている人」
という不審者と認識されてしまう。
実際に女子中学生を見ていたかどうかは関係ない
なぜなら一般的に
「バスで女子中学生を見る」行為は
目的にも役割にもなり得ないから。
公園のおじさんにとっての
子供や犬のように、
なぜそこでそうしているのかが
わかるモノを持ったり
行動をしたりを
わざわざする必要のある社会に、
今後なっていくのかな?
とりあえずスマホいじりは今のところ万能な気がする
ああ、そういえば
満員電車で
両手でつり革をもって
痴漢冤罪を防ぐ
みたいな話を聞くから、
もうそんな社会になってるのかも。
これを世知辛くなったと捉えるか
安心な時代になったと捉えるか、、、
ボクの現状は不審 of 不審(笑)
不審者にされないためには
「第三者から見て理解可能な役」
を演じるのがよい
というのを字面通り捉えれば、
今のボクのステータスである
- 無職
- 無所属
- ひきこもり
は、
ひかえめに言って
不審ではない要素がない。
これ、どうしようね?(他人事)
まとめ
- 不審者情報に「ジロジロ見た人」が挙げられていた
- その表現だと、不審者じゃないケースもあり得る
- 不審者通報の閾値が下がれば犯罪予防に寄与するけど、冤罪率が上がりかねない
- 不審者情報には「不審の根拠」を示すことで一定の閾値は保ってほしい
- そもそも不審とは、「第三者から見てその場での役割不明な人物」だと思われる
- 不審者にされたくなければ、その場にとって自然な役を演じましょう
結局
「疑われるような行為をするな」
っていう当たり前な結論なんだけど、
これも危ういと思う。
なぜなら「疑う」は主観だから。
「客観的に疑うに足る証拠」
なんてものは
そうそう出てこないだろうから、
結局(自称)被害者の主観で
どうとでもなる部分が多い。
…怖くね?
…キリがないので以上、
それでは~
今日の話はキャンセルカルチャーに通じるものがあると思う。
こちらも今日の話同様「不快だから」が根源だけど、
今日の話みたいに「疑われる行為をしていた」のではなく
「統計結果(≒事実)を提示しただけ」で
社会的に殺されてしまうのでタチが悪いと思う↓




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