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【映画の感想】世界観がすごい【ちいかわ 人魚の島のひみつ】

〇その他(本/映画)
〇その他(本/映画)

先日見た「ちいかわ 人魚の島のひみつ」の感想。

ボクのちいかわ履修歴は、

  • Xを少し前(映画化ネタの後)からフォローしている
  • アニメは未視聴
  • 映画のネタバレは踏んでないけど、流れてくる感想は見た
  • 映画視聴後に漫画の映画該当箇所を読んだ

って感じ。浅めのちいかわファン、ってところ。

以下、感想の垂れ流し。
視聴から日が経っているので、記憶違いはご愛敬

※ネタばれあります※

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映像化作品お約束の「声」について

声付きでちいかわに触れるのが初めてだったこともあり、最初の15分くらいは声に慣れる時間だった。(これはコナンの映画を見たときと同じ)。

そんな中、「ウサギの声」が(ボクにとって)完璧だった。原作の「ィィイャーハァーーーッ!」「ウゥーラァーヤハ!」みたいな書き文字がそのまま音になった感じがして、声優ってすごいな、と思った(小並感)。後で調べてわかったんだけど、うさぎの声は英語版でも音声を吹き替えてないらしい。さもありなん。

一方でちいかわとハチワレの声は最後まで慣れなかったんだけど、ボクにとってはこっちの方が通常で、ウサギの声のフィット感が異常だっただけ。

あと声に関しては、シーン切り替え直後、先生が昆布で吊るされた状態で「体から昆布の匂いがする。旨味が染み込んでいるのか?」みたいなことをやたらいい声で言ってたのがツボだった。

ダークな要素?について

ボクがこの映画を見るきっかけになったのは、Xで流れてくる感想に

  • 子供のトラウマになる
  • 作者の性格の悪さが出ている

みたいなのが多くて、そこに興味を持ったからなんだけど、それに関しては「言うほどかなぁ?」って感じだった。

そう感じてしまった理由には

  • 感想の日本語がインフレしてる側面と
  • ボクが想像を膨らましすぎた側面

があると思っている。

言葉のインフレと、それを言葉通り受け取ったボク

前者(表現のインフレ)に関しては映画を見た後に友達と食事した時にも偶然似た体験をしたんだけど、SNS上の感想に関しては「アテンションエコノミーの弊害(というか一環?)」という認識。

感想をSNSにアップする人も、できるだけ多くの人に自分の感想を見てもらいたいから、ちょっとしたことでも過剰な修飾をするってことかと。方向性はズレてないから自分の気持ちに嘘をついてるわけじゃないし、なにより周囲も盛るだけ盛っているので自分も盛らないと埋もれてしまうから盛らざるを得ないのかもしれない。しらんけど

そんな中、盛られた表現とは知らずに字面どおりに受け止めるボク。とっても滑稽だね(笑)

この感想記事は素直な気持ちを書いているつもりだけど、どうなんだろう?無意識に盛っているかもしれない。

盛られた言葉を基にして、妄想で更に盛る

後者(ボクが妄想を膨らましすぎた)については、具体的には映画内で謎が提示されたときに「まさか入島時の歓迎料理の中に人魚の肉が入っていて全員を共犯にしてる?」とか考えていた。

この想像ついては「セイレーンが、捕らえた先生のお尻を確認したシーン」で違うことが判明したんだけど、そしたら今度は終盤で「セイレーンを追い払った後の宴会(キャンプファイヤー)のシーンの料理に人魚の肉が(以下略)」と考えたけどこれもやっぱり違って、結局食べたのは2人だけだったので肩透かしを食らった格好。

当時は映画が「漫画の映画化」だとは知らず完全オリジナルだと思っていたので、「そりゃ映画での変化が原作に影響を与えちゃマズイよな」なんて思っていた。

全部ひっくるめての「マーケティング」ってやつなのかも

「肩透かし」と書いたけど、これは表現を盛った感想を受けて想像を膨らました自分が原因であり、作品のせいではない。そもそも商売としては、あまり興味のない潜在客(今回のボク)を映画館に連れてきた時点で作品側の勝利だしね。

そう考えると、売る側からしたら客に「盛った感想」をばら撒いてもらった方が都合がいいのか。そりゃ「お客様の声を装ったステマ」が流行るわけだ。

加えて、行って初めて知ったんだけど、入場者全員に特典(冊子)を配っていた。しかもその特典が期間ごとに変わっていくらしい。これでリピート客も狙うってわけね。やっぱ商売ってほんと「出来ることは何でもする」って感じだ。

って考えると、やたら炎上してる「転売」も、ルールを守っている限り、単なる「商売」なんだよな。モラル?マナー?については思うところがあるけど、それはルールが緩いのが原因なわけであって、彼らも「出来ることは何でもしている」だけなんだな、と(自分たちのマナー違反が原因による規制に対してぶち切れてるのは厚顔無恥としか言いようがないけど)。転売抑制としての公式のダイナミックプライシング(スキミング価格戦略?)が採用されるのは何年先になるやら。

世界観が絶妙

話をちいかわに戻す。その他細かい感想はいくらでもあるんだけど、総評としては「ちいかわの世界観が絶妙」ってところに落ち着くのかと。

今回の話のメイン?である「永遠の命」についても、結局は電池稼働になっただけなんだから、電池がなくなったら動かなくなる(≒死ぬ)し、例えば腕を失うような怪我をしても、電池稼働だからって治るわけじゃないはず。他にも「檻に入れて海に沈めたらすぐショートして死ぬじゃん」とか突っ込みだせばきりがないんだけど、その辺を全部ひっくるめて「ちいかわの世界観だから」で納得してしまうだけの力が、ちいかわにはあると感じた。そもそも「人魚の肉を食べたら死ななくなる」ってなんだよ!って話でもあるんだけど、そこは共通認識としての人魚伝説があるから不問

あとは映画ゲストキャラの一部(というか犯人s)がモブで、外見上のキャラが立ってないのも絶妙。もしあの2人に外見上のキャラが立ってたら、大衆の感想はそっちに吸われて全然違った口コミになったと思う。その辺のバランスをとるのが作者であり、「さすがプロ」ってことなんだろうなぁ。

実際(?)、特典でもらった冊子(漫画の下書き)では2人に外見上のキャラが立っていたので(犬とインパラ)、そこから単なるモブに変更したってことは、狙いはわからないけど、やっぱり何らかの意図はあったんだろうな、と。
これは書いた後に思ったことなんだけど、「2人だけに姿を与えると2人が怪しいってすぐに分かっちゃうけど、かといって島の住人全員に姿を与えるにはコストがかかりすぎるから2人もモブにした」って考えるのが今となっては自然な気がしている(笑)

「なんでもあり」の世界が、違和感なく成立するバランス

以前読んだ本の感想で、「『作者が決めた嘘の世界』のなかで、ちゃんとリアリティを感じることのできる作品が良い作品」みたいなことを書いたけど(↓)、ちいかわはこの「作者が決めた嘘の世界」が元から曖昧で、曖昧が曖昧のままで許される、というか「曖昧だからこそちいかわの世界」と思わせてしまうところがすごいんだと思う。これがちいかわの面白さの肝で、再現の難しいところなんだろうな。

思い返せば、面白い作品はみんなこの「世界観に疑問を抱かせない点」が共通している気がする。例外は、世界観自体をネタにできるギャグというジャンルかと。

ちいかわの「この世界は曖昧ですよ」という最たるメッセージ?が、絵はお子様向けなんだけど、話は全然そうでもないところなんじゃないかな?子供向けなら栗饅頭なんか存在しないはず(笑)

漫画との比較

映画を見たその日に快活に泊まったので、せっかくだからと映画化された部分の漫画を読んだ。そしたら映画との違いや、ストーリー2周目だからこそわかることがあって面白かったので、それについて少し。

「永遠の命」の重さ

一番印象に残った違いは、人魚の肉を食べさせられた側が食べさせた側に「お前も食え」って言うシーン。漫画では割とすんなり食べてたのに対して、映画版は最初拒んでいた。映画版では「死ねないことの残酷さ」を強調したかったってことだと思う。これが著者の意図か映画監督?の意図かはわからないけど、(インフレした日本語による)口コミ効果の増大を狙っての変更だったり?もしそうなら、ボクはその作者の間接的釣り針に見事引っかかったことになる(笑)。

炭酸と単三

映画の後に漫画を読んだから気づいたことは、島に着いた直後、船酔いのちいかわのためにハチワレが例の2人に対して炭酸を要求したときの、要求された側の2人のリアクション。漫画ではあからさまに意味ありげなリアクションしていた(言わずもがな「炭酸→単三(電池)」の聞き間違えによるリアクション)。映画ではどうだったかな?まだ声の違和感に脳内キャパを持っていかれてる段階だったこともあって、全然記憶にない。

モモンガ関連のシーン

あとは漫画だと「ちいかわ→モモンガ」の苦手意識の描写がちょいちょいあったけど、映画にはそれがあまりなかった。本筋外のノイズになるって判断してカットしたのかな?

でもその一方で、モモンガ飴を喉に詰まらせて「泣いたほうがいいか?」って泣くシーンがある。これは映画を見てて妙に浮いていて、「このシーンは何?ってか、いる?」って思ったんだけど、漫画だと1ページ漫画の締めとして使われてたことが判明して謎が解けた気分。ただ、「このシーン、いる?」という思いは顕在。こっちはノイズじゃないと判断したってことか。モモンガファンへのサービスとか?

絵の話

ここからは余談。映画と漫画の比較ではなく、漫画の絵を見て思ったこと。たぶん「言わなくていいこと」に分類される

ボクは小学生の時に爆走兄弟レッツ&ゴーのアニメを見たときに「横顔なのに口が全て見えてるのが気持ち悪い」と感じ、以降ずっとこの表現に対する違和感が半端ないんだけど、ちいかわ(少なくとも漫画)は横顔がちゃんと横顔していた。

これは文字では伝えにくいので、画像を引用してみる↓。

違和感の例↓

爆走兄弟 レッツ&ゴー!!MAX 第1話サムネイルより

違和感の(少)ない例(2コマ目のシーサー)↓

似た例で、「横顔で、目鼻が見えてるのに奥側の髪の毛が見えてる」っていうのもある(ボブカットに顕著な印象)。

口の話も含めて「わかりやすさ」の技法のひとつであり、上述の「作者の決める嘘」の一環だとは理解してるけど、それでもボクには違和感の方が勝ってしまうので、それの(少)ないちいかわには好感を覚えたって話。

真偽不明だけど、ピーナッツ(スヌーピー)の作者は、映像化の際にこう言い放ったらしい。

「スヌーピーに正面などない」

このくらい振り切ってたら逆に好感(笑)

ストーリーの感想?がないじゃん

ここまで書いて、ストーリーに関する感想がないことに気づいた。「電池稼働になった2人のその後」あたりが感想の書きどころな気がするんだけど、どういうわけかその手の感想は湧いてこない。

無理やりひねり出してみると、2人の今後の可能性としては

  • セイレーンたちに見つかる or 見つからない
  • 見つからなければ当初の2人の想定内なので一応ハッピーエンド
  • 見つかった場合、捕まる or 逃げ切る or 倒す

みたいな感じで分岐していくと思うけど、ここでさっき言った「なんでもありのあやふやな世界観」がボクの想像を邪魔してくる。何でもありだからこそ、可能性が潰せない。そうなると今度は「こうであったらいいな」という希望を語るんだろうけど、ボクには別に希望はない。せいぜいさっき書いた「登場人物全員、あるいは島の住人全員が電池稼働になったらおもしろいな」くらいだけど、それはすでに否定されてしまっている。
「まぁこうだろうな~」という感想をサムネに示しておく

この辺は、ボクがちいかわの世界にあまり浸れていないことが原因なのかな、と。あとは「答えのない問い」に慣れてないからとか?それともやっぱりいつもの着地点で、「友達と感想を言い合う」という経験をしてこなかったからかな?これはさすがにこじつけすぎかな?

…いや、わかったかも。たぶんボクにとって「ちいかわ世界観」が面白いのであって、ストーリーラインは単なる「人魚伝説(と犯人捜し)」でしかないから、特に思うところがないんだ。

そう考えるとやっぱり、ある種のテンプレのストーリーラインに世界観を適用するだけ(たぶん滅茶苦茶語弊ある表現)でここまで話題にできるっていうのが「ちいかわ世界観の凄さ」ってことなんだろうな。

まとめ

  • ちいかわの映画を見た
  • SNS感想から漏れてきた「ダークさ(?)」は、期待ほどではなかった
  • それ以外の要素で十分面白かった
  • 面白さの多くは「ちいかわの世界観」に起因していると思った
  • 面白い作品は「世界観に疑問を抱かせない」のが共通していると思った

以上、

それでは~

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この記事を書いた人↓
よしの

◆11年勤めた理系研究職を36歳で辞めた、無職エンジョイ勢(5年目)

◆主な話題:出費記録/甘味/読書感想/節約/各種手続の過程

◆2025年の総出費:年間95万円 (月平均7.9万円)

◆自身の体験に基づくアレコレを書くブログ

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