既にFIREという状態に
至って数年経った著者の、
「FIRE=幸せな人生」とは限りませんよ
という主張が書かれた本。
だからこそタイトルが”幸せな”FIRE
別の言い方をすると、
FIREという言葉に
幻想を抱いてしまった人の目を
やさしく覚ましてくれる本。
無数のFIRE事例を
見てきたネコが、
「なんとなくFIREしたい」と思っている
(読者を想定したであろう)会社員に対して
FIREについてレクチャーする体で
話が進んでいく。
ボクは
FIREの概念を知らないまま
FIせずにREした身なので
感情移入はせず(できず)に
傍観者的立ち位置で読んだんだけど、
それでも(だからこそ?)
FIREブーム(?)に便乗せず
むしろ逆に
「FIREという言葉に惑わされるな!」と
諭してくれている点に
(大きな流れにはとりあえず逆らいたくなる天邪鬼のボクとしては)
とても好感が持てた。
本書の概要
ボクが解釈した
本書の概要はこんな感じ↓。
- FIRE状態は、幸せの3条件のうち2つを満たす
- 残りの条件を満たす手段は、FIRE達成者には不要な「仕事」
- 核心①:仕事をすれば幸せの3条件を同時に満たせる
- 核心②:「仕事=苦痛」というのは歪んだ認識
- 核心③:「好きな仕事をしろ」という平凡な結論
- FIREに幻想を抱くな
以下、
順に書いていく。
FIRE状態は、幸せの3条件のうち2つを満たす
人間の幸せの3条件は
- 能力発揮の環境があって(人的資本)
- お金があって(金融資本)
- 人との繋がりがある(社会資本)
というもの。
これはいろんな本に書いてある(これとかこれとか)
で、
FIREした人は
FIREするだけのお金を稼げたんだから
少なくとも金融資本は充分保有していて、
能力の結果金融資本を得たのなら
人的資本も保有しているはず。
だけど
残りの条件である
「人との繋がり」が不足するので
幸せになれない場合が多い。
本書ではそれが「虚無感」と表現されている
じゃあどうするか?
残りの条件を満たす手段は、FIRE達成者には不要な「仕事」
人との繋がりが足りないのであれば、
何らかの方法で
人との繋がりを確保すればいい。
そして、
一番簡単な方法が「仕事をする」こと。
実際
多くのFIRE達成者が仕事をしている。
そして
仕事とは幸せの条件である
- 能力発揮の環境(人的資本)
- お金(金融資本)
と密接なかかわりがある。
核心①:仕事をすれば幸せの3条件を同時に満たせる
ってことで本書の核心のひとつ。
それは、
多くのFIRE達成者が
結局仕事をしてるんだったら、
FIREする前から仕事をすれば
幸せの3条件がすべて得られるじゃん!
いちいち
FIREっていう回り道をしなくていい分、
お得じゃん!
というもの。
核心②:「仕事=苦痛」というのは歪んだ認識
これに対して
「たしかにそうかもしれないけど
現実問題、今の仕事は苦痛だ」
「仕事で幸せに近づくなんて信じがたい」
と思う人に対する回答は、
「それは苦痛に感じることを仕事にしているから」。
「仕事が嫌」と言っている人は、
正確には「嫌」の対象は
今の自分の業務内容や職場環境
のはず。
仕事という言葉は本来
「お金を稼ぐ活動全般」のことであり、
「苦痛の対価にお金をもらうこと」ではない。
なので
「仕事=苦痛」っていうのは
一般論ではなくて、
「私の仕事=苦痛」という人が
沢山いるというだけ。
この認識の歪みが
「FIRE=仕事しなくていい=幸せ」という幻想を
生み出していると思うんだけど、それは後述
核心③:「好きな仕事をしろ」という平凡な結論
実際に
FIRE達成者が
(仕事なんかする必要ないのに)
実施している仕事の共通点は
「好きなこと/苦痛ではないこと」。
なので
先ほど核心①を言い直すと、
好きな(苦痛ではない)仕事を
することが幸せへの近道
っていう
平凡な表現になってしまう。
これはボクの感想だけど、
このような平凡な表現では人とお金が動かないから、
FIREっていうよくわかんないけど
なんか夢のありそうなキャッチーな言葉が
重宝されてるんだと思う。
FIREに幻想を抱くな
以下は本の概要というよりボクの所感成分が強くなる
以上より、
FIREなんかしなくても
幸せにはなれる。
ていうかむしろ
FIREを経由することで
幸せまで遠回りしているまである。
FIREというのは金融資本、
即ち幸せ3条件の1つに対する不安から
解放された状態を表現したものに過ぎない。
なので
「幸せの3条件の1つを満たす」
という意味では
「幸せな生活に至る手段のひとつはFIRE達成」
といえなくもないけど、
多くの場合「FIRE生活≠幸せな生活」。
FIREは決して最終的に目指す場所ではない。
せいぜいチェックポイントや通過点
そこを間違えちゃいけない。
今の仕事が苦痛
↓
FIREすれば苦痛から解放される
↓
FIRE目指そう!
ってなるのは理解できるけど、
数多くのFIRE達成者を
見てきた著者からすると、
FIREを達成したからといって
幸せになるとは限らない。
むしろ幸せになった人は少ない。
ってことで
FIREという言葉が放つ全能感?は まやかし。
目を覚ましなさい。
以上、
ボクが理解する本書の主張、おわり。
感想
「FIRE ≒ 極楽 ≒ 幸せ」?
本書を読んで思ったのが、
FIREって言葉は便利だよな
ということ。
なんていうか、
昔(江戸時代とか?)で言うところの
「極楽」っていう言葉と
似たような位置づけ(機能)っていうか。
つまり、
- 今の苦痛から逃れる方法
- 今の苦痛を受け入れる理由
として(便利に)使われていて、
それ自体がどういう状態なのかを
説明しない(できない)ということ。
「FIRE」については
その状態の
客観的な定義が(たぶん)あるし、
そこに至る方法も説明されてるんだけど、
本書のような
「そこに至った人の実態」みたいな話は
ほとんどないんじゃないかな?
そういう意味でも本書には価値があると思う
そんな話があったとしても
金稼ぎのために
FIREのいい所しか見せてなかったり、
あるいは
そもそも虚偽のエアFIREだったり
っていうケースが多いんじゃないかな?
そういう意味でも
「極楽」と似てるよな、と。
だからこそ結論も
極楽を目指して現世で
苦行に耐えている人に
対するものと同じで、
目を覚ませ!
そんな言葉に踊らされずに
今やりたいこと(仕事)をやれ!
になるのかと。
あ、
ここまで書いて気が付いた。
「FIRE」も「極楽」も
「幸せ」の歪んだ言い換えってことか。
その言葉の抽象性をいいことに、
消費者の前にエサとしてぶら下げて
お金を搾り取る、みたいな。
そんな中、
「幸せのFIRE」という
タイトルからわかるように、
本書は
FIREは必ずしも幸せではない
と言っているので、
ちゃんとFIREという言葉(状態)と
向き合っている誠実な本だと思う。
幸せは相対的なものだから厄介
とは言うものの、
本書に書かれている
「FIREしても幸せになれない」
っていうのは
持つもの特有の悩みで、
言い換えれば
幸福値の最大化を目指してる人の言い分。
幸福値がマイナスの、
いわゆる社畜を
自称するような人からすれば、
たとえば
幸福値が-100から-60になるだけでも
幸せを感じるのに、
「FIRE達成して幸福値60になったけど
なかなか100にならないんだよね~」
とか言われたらキレそうになる。
本書にも似たようなことが書かれている箇所がある
どちらも変化量としては
幸福値+60のことを言ってるのに。
幸せの相対性っていうのは厄介だなぁ。
「幸せへの近道の実践 < 現状の辛さからの解放」だから厄介
「幸せ」関連で、
他にも厄介なことがある。
それは、
この手の本で提案されている
「まともな」方法には
継続的な行動が必須で、
しかも結果の反映が遅かったり
そもそも結果を確認できなかったり
するものが多いということ。
だからこそ
簡単に行動できて
すぐに結果が得られるような
安易な(詐欺的)方法が出回る。
〇〇だけダイエットとか××健康法とか
スマホひとつで稼ぐ方法とか。
最近だと闇バイト関連とか最たるもの。
特に
今が辛い人が、
「これさえすれば辛い今から解放される」
と言われると尚更。
溺れる者は藁をもつかむからね。
ほんと厄介。
現状の仕事の辛さから解放される確実な方法:退職
一例としてボクも
今の仕事の苦痛から
逃れることのできる
安易な方法を紹介しようと思う。
その方法は
- 継続的な行動が不要で
- 結果の反映が早くそして確実に
- これさえすれば辛い仕事から解放される
っていう
素晴らしいもの。
そう、退職だね(笑)。
退職に憧れる、という謎の状態
ボクは退職して
在職時よりは
幸せになったと自覚しているので、
「退職すればいい」っていうのは
半分は本気。
少し過去語りするけど、
ボクが退職を決めて
それを周囲に報告した時、
これまで話したこともない人が
何人かボクの所に来て
退職についていろいろ聞いてきた。
みんな退職に興味津々な模様。
で、
彼らは高確率で
「いいなー、俺も退職してーなー」
と言ってくるので、
その全員に
「してはいかが?(要約)」
と返したんだけど、
誰一人として退職する人はいなかった。
精神と行動の矛盾 → 心身への負荷
このとき思ったのが、
自分の行動で
容易に達成可能なことに対して
「〇〇したいなぁ」と言い続けるも
それをしない人は、
行動では現状を受け入れてるのに
言葉ではそれを否定してるってこと。
「〇〇しない」という行動をし続けている
それは
心でブレーキを、
体でアクセルを同時に踏んでいて、
辛うじてアクセルの方が強いから
前進しているようなもの。
やりたくないパワー < やらなければならないパワー
常に
無駄なエネルギーを消費しながら
生活しているってことだから、
その結果
心身に支障をきたしちゃうんじゃないかな?
退職したら少なくとも矛盾は減る
当然
退職したら
定期的な収入は無くなるけど
一定期間は失業保険もあるし、
「イヤなことをする」っていう状態から
開放されることによる
心身への良い影響が大きいのは確実。
今の仕事が本当につらいなら、
退職っていう選択肢も考慮してみては?
とは思う。
心身に支障をきたしちゃった後なら
退職の前に傷病手当の手続きとかした方が
金銭的に賢いんだろうけど、
ボクはそれをしたことが無いので語れない。
ボクの人生をFIRE達成者と比較して、今後に備えてみる
開放期 → 虚無期 → 充実期
本書に出てくるFIRE達成者の
人生のフェーズをざっくり言うと、
- 開放期(働かなくていいぜキャッホー!)
- 虚無期(飽きた。暇。寂しい)
- 充実期(苦じゃない仕事、いいじゃないか)
って感じだと思う。
ここで、
ボクはFI(経済的独立)したとは
言えないんだけど、
生活保護受給額以下で
暮らせていることから
広義でのFIREは達成しているとする。
仮にね、仮に。
その上で
ボクの人生を
上記FIRE達成者の
人生フェーズと比較してみると、
ボクは今開放期にいるんだと思う。
ボクが退職したのは
約3年前なので、
かれこれ3年間ずっと
開放期にいるということ。
この期間は
FIRE達成者の例と比べると
やや長い印象を受けた。
何でだろう?
開放期が長い理由①:実はもう充実期だった説
理由の一つは明白で、
厳密にはFIしておらず、
それが原因で
節約生活をしているから。
節約生活が
ボクにとってある意味
本書で言うところの
「苦にならない仕事」になっていて
(報酬(お金)は発生してないけど)、
そのおかげ?で図らずとも
虚無期を回避している、という解釈。
この場合、
ボクは開放期ではなく
充実期にいるとみなせる。
開放期が長い理由②:「仕事」に対する認識が歪みまくっている説
未だ開放期にいる
もう一つの理由は、
「仕事=嫌なこと」という
歪んだ認識が、
本書の主人公とは
比べ物にならないくらい強いから
だと思っている。
つまり
あまりにも仕事がイヤすぎて、
虚無期への遷移の原因と思われる
「開放状態への慣れ」が
いつまで経っても来ない、という解釈。
「仕事をしなくていい喜び」が長続きしているということ
虚無期を回避すべきか?
理由①の場合は
既に充実期にいるので
ハッピーってことで問題ないんだけど、
理由②の場合、
いずれ来るであろう虚無期に対して
どうするか、という問題がある。
対応方法としてざっくり
- 向き合う
- 回避する
があると思うけど、
これってどっちが良いんだろう?
経験値効率の悪いことは回避する方針で
要は
「若い時の苦労は買ってでもしろ」
の是非みたいな問題なんだけど、
ケースバイケースだから難しい。
この問題への回答を
一般化すると、
その「苦労」が今後経験として
(こじつけじゃなくて直接的に)
生きるのであれば
回避しない方が得になって、
生きなければ
回避した方が得する
ってことになると思う。
工学部入試における
数学は回避しないほうが良くて、
古文は回避したほうが良い、みたいな。
あるいは
RPGで経験値が不味い敵からは逃げて
美味しい敵だけと戦ってレベルを上げる、
みたいな。
余談だけど、
この回避をしまくりつつ何かを学ぶことを
ファスト教養っていうんだろうな。
虚無期の場合、回避方法=対処方法
そうなると問題は、
虚無期に得られる経験値が
わからないこと。
本書を読んだ感じ、
虚無期は無い方が良い
避けるべき対象として
書かれているので、
素直に避けた方が良いんだろうな。
ただ、
ボクは経験からしか学べない
愚者の傾向にあるので、
回避行動を起こせるかどうかは
いささかの不安がある。
なので
とりあえず知識として
虚無期の対処方法を
頭に入れておいて、
実際に虚無期が来たら
その方法を実施することにしよう。
って
その対処方法っていうのがつまり
本書に書かれてた
「嫌じゃない仕事をしろ!」
ってことじゃん。
しかも
対象が虚無期の場合、
虚無期到来前に
それをすれば回避になって、
到来後にすれば対処になるので
なんか得した気分。
ボクのすべきこと:嫌じゃない何かを色々する
ってことで
本書を参考にすると、
ボクのすべきことは
嫌じゃない仕事をする
ってことになるんだけど、
嫌じゃない仕事ねぇ、、、
うーん(拒否反応)、、、
いや、でも
捉えようによっては
このブログに
広告費や紹介料が発生したら
正に今やってる
ブログを書く作業が
仕事ってことになるんだけど、
それなら拒否反応はないな。
ってことは
「『仕事』という何か」をするんじゃなくて、
「今やってる『何か』」が仕事になればいいのか。
あれ?
それって正に
本書にも書いてあったことじゃん。
本書ではたしか
主人公が
今やってる事を副業にしてたけど、
ボクの場合は
「副業にする」という行為に
未だ拒否反応が出るので、
やっぱりさっき書いたように
「既にやっていることが
なんか知らないけど仕事になってる」
みたいな所を目指せればいいのかな。
そのためには
「既にやってる何か」という種を
蒔いておく必要があるから、
無職だからって
だらだらしては
いられないってことか。
ゲームするのが仕事になる時代にはなったけど、
動画見るのが仕事になる時代ってまだ来ないかな?
ご到来、お待ちしております。
問題は、
この方針で行動しても
虚無感の最たる原因と書かれている
「人との関わり」が
解消されることは無いってことなんだけど、
それは棚上げということで(笑)
まとめ
- 「幸せなFIRE」を読んだ
- FIREという言葉を釣りとして使っておらず、ちゃんとFIREの実態を説明した良い本だと思った
- ボクにはFIRE達成者で言う所の虚無期が来ていない(回避したかも?)
- 虚無期に対する回避&対処方法は共通で、嫌じゃない仕事をすること
- ボクは仕事アレルギーなので、まずは嫌じゃない「何か」を色々することにしよう
本書を読んだのは1か月くらい前。
おかげで程よく
内容の記憶が薄れたことにより、
普段の感想記事みたいな
細かな突っ込みを書かずに済んだ。
記憶が薄れたせいで
本に書かれてないことを
書いたりするだろうけど、
感想に正確性は不要だし、
こっち方が
ネガティブ要素が減るから
いいような気がしている。
ってことで
既に読んで
感想記事を書いてない本の
感想をぼちぼち書いていこうかな。
以上、
それでは~
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