正式なタイトルは「リーマントラベラー 週末だけで世界一周」。
著者はリーマントラベラーとして有名?な人。ボクはリーマン時代、さすがに週末ではないけど、長期休暇のたびに海外旅行していたリーマントラベラー(広義)だったこともあり、著者の本を追いかけていた。そんな中、最新刊(=本書)を図書館で見つけたので早速借りてみたんだけど、蓋を開けてみたら以前読んだ「サラリーマン2.0」の文庫版だった。追加パートはあったんだけど、肩透かし感は否めない。
ただ、図らずとも再読したことによる、自分の感想の変化がおもしろかった。ぱっと見は「陰キャのひがみ」みたいになっちゃったけど、、、
読了月:2025.4
概要
本書の元となった「サラリーマン2.0」では、「『平日は仕事、週末は海外旅行』という生活をコペルニクス的転回で『平日は日本でのトランジット』と捉えれば、ずっと日本経由で海外旅行しているようなもの。週末だけで世界一周もできるよ」として、著者の世界一周中の印象的なエピソードが書かれている。本書はそれに加えて「コロナ禍に、あるいは幼児の親として、いかにリーマントラベラーしていたか」が追加されている。
著者は休養学の教えを実践している
ボクの読書体験を踏まえたうえで本書を端的に評すと、「『休養学』でいうところの休み方がめちゃくちゃ上手な人の休み方実例集」って感じ。
休養学曰く、「だらだらしたり甘いもの食べたりひたすら寝たりすることは休養として片手落ち。そこに能動的で楽しさのある軽い負荷を敢えて加えることで、体力はもとより気力もこれまで以上に回復することができるよ」とのこと(ボクの理解による)。
著者はこれを体現しているように感じた。っていうかもはや「(休養の一部としての)軽い負荷」が週末の海外旅行なのか平日の仕事なのかわからなくなるレベル。元から体力があるっぽいので週末の海外旅行も平日の仕事も「軽い負荷」になり得て、気力についてはこれはもう本書を読めばわかる、としか。
そんな感じで休養の実例としては申し分ないんだけど、正直ボクには考えられないレベルでバイタリティにあふれているので、到底真似できないのが玉に瑕(誤用)。
「休養学」の感想↓
再読でとらえ方が変わっていて面白い
図らずとも同じ本を2度読んだことで、初読時と再読時での感想の違いによる気づきがあった。
未知に挑むより、振り返ってこじつける方がラク
初読時のボクは、仕事(=日常生活)が嫌でしょうがなくて、そこから逃れる何かを見つけたくて本書を手に取った。当時の感想は、「著者みたいに人生楽しめるようになりたいな、と思う一方、著者と自分では性格が違いすぎるのでそのまま真似したらストレスで死ぬ。なので真似できる要素を抽出して真似しよう」というものだったと記憶している。ただ、肝心の「真似できる要素」が何だったかは覚えてないし、実際に何かを真似した記憶もない。
それに対して再読時(今回)は、初読時の目的であった「仕事からの逃避(=退職)」を既に実施済みなので、本書に対する見方が180°変わった。結果、「著者は自分とは正反対のタイプなので、『仕事と好きなことの両立』なんか目指さず、素直に退職して正解だった」という感想になった。
前を見て歩きましょう
要するに、感想が解決法の模索から自分の選んだ回答の正当化に変わったということ。
これは一般論と言っていいと思うんだけど、答えのない問題に対しては、「無限の可能性から一つの回答を選ぶ」よりも、「選ばれた回答に対してあれこれ振り返る」方が簡単だと思う。
謎な肩書のコメンテーターやコンサルタントが雨後の筍のように湧いてきたり、フィクションの映像化に伴い声がついたときに文句が出たりする理由のひとつがコレかと
だからどうってわけじゃないけど、ひとつ言えるのは、ボクは人生通して後者ばかりやってきたということ。それってつまり後ろを見ながら進んできたってことだから、そりゃこんなひねくれた性格になるよな、と納得してしまった(笑)
陰キャによる、陽キャ観察記録
著者はボクとは正反対のバイタリティとか愛嬌のある側の人間で、書かれている体験のほぼすべてが自分とは別世界なので、参考にして自分に生かすにはかなりの抽象化が必要だと感じた。でもそこまでの抽象化能力がボクにはなかったので、本書の読書体験は「自分とは異なるタイプの人間観察」と言った方が適切かもしれない。
さしずめこの記事は「陰キャから見た陽キャの観察記録」といったところ。
以下、印象に残っているボクと著者の違いを3つ挙げる。
違い①:ルール外のお願い
「自分とは異なる」一例は、リーマントラベラーを名乗って1泊130万の部屋に入れてくれって頼むエピソード。
「雑誌と同じ構図で写真(自身のポートレート)を撮りたい→その写真は1泊130万の部屋で撮られてるっぽい→さすがにそんな高額な部屋に泊まれない→入って写真だけ撮らせてもらえないかお願いしてみた」って流れだったと記憶している。
初手の時点でボクには決して思い浮かばない発想
そのお願いは、、すんなり叶えられたわけではなかった気がするけど、事の発端である「雑誌と同じ構図での写真」は撮れていたと記憶しているから、少なくとも叶えられていたはず。そう、ボクが厚かましい、図々しいと感じた要求が通ってしまっている。
なのでこの一連の話は、読んでて正直不快だった。不快のもとをたどると、「厚かましい」「図々しい」「ルールにない(と思われる)ことしたら迷惑だろ」みたいな感じ。客観的に見れば単なる嫉妬?というか羨望交じりの不公平感*なんだけども(後述)。
*別に不公平ではない
違い②:ルール内の行為
他の例(ボクと著者との違い)としては、本書の文庫化で追加された章に書かれていた、乳幼児連れの海外旅行が挙げられる。
特に印象に残っているのは国際線の搭乗。これは上述の「部屋に入れてくれ」とは異なりルール上認められている行為だから何も問題ないんだけど、「ボクの」常識ではまずやらない類のこと。なぜなら周囲への迷惑が大きいと想像できてメンタルが耐えられないから。でも本書ではむしろそれを誇らしげに書いているように感じた。「みんなもやりなよ!なぜやらないの?」みたいな。
ボクはこれにも上述の「厚かましい!(主観)」に似た感想を抱いた。ベビーカーをたたまずに満員電車に乗っただけで炎上するような昨今なので、ボクと同様に思う人は結構いるんじゃないかな?まぁ上述の通り、客観的には見当違いな感情なんだけど。
違い③:帰りの飛行機の心境
最後に一番対比しやすかったボクと著者の違いは、帰りの飛行機での心境。
著者は帰りの飛行機が「旅で1番好きな時間」とのこと。対してボクは正反対。毎回割と本気で「このまま飛行機が落ちればいいのに」とか思っていた。
よくネタとして「会社に隕石が落ちればいい」って話を聞くけど、どっちが不謹慎なんだろう?
これが一番顕著だと思うんだけど、根本的に世界に対するスタンスがボクと著者とでは違うんだろうな、と。
「世界に対するスタンス」が根本的に違う気がする
ルールを守るんじゃない、ルールに守られているんだ
前述のとおり、ボクは筆者の行動(の一部)に対してネガティブなイメージを持ったんだけど、その原因はボクの中でははっきりしている。それは、ボクには愛嬌およびそれに類するものがないこと。
ボクは自分には愛嬌や人望、人徳といわれるようなものがなく、ルールに助けられてると自覚している。「ルール」の最たるものはお金(資本主義)で、「お金とサービスや物を交換」というルールがなければ、ボクは誰にも相手にされないような性格だと思っている。在職時代は最低限の仕事はこなせていたから、社会の歯車として相手にされていた(=会社の信頼を借りていた)けど、退職後はそれもなくなってしまったので猶更。
一方で著者は、極論上述の資本主義のようなルールがなくても、愛嬌があるので物々交換でなんとかしてしまえるタイプだと思った次第。上述の高い部屋に入れてもらったエピソードなんかが、その典型だと思う。
愛嬌っていうのは要するに橘玲のいうところの「社会資本」ってやつであり、ボクがこのブログ内でさんざん言及している「人とのつながり」ってやつでもある。結局自分の人生の幸せについて、本に書かれていることをもとに考えていくと、同じ結論にたどり着いちゃうんだよなぁ。。。
直近ではこれ↓
魅力なき者共の僻みの厄介さよ
上記嫉妬?ひがみ?について少し文字数を使って表すと、「著者には、ルールでは与えられていないものを人間的魅力(社会資本)によって引き出せる力がある。一方でボクにはそれがない。その力で得たものを見て、羨ましいと同時に『そんなやり方ありなのかよ』と思ってしまう」って感じか。
これに類する感情って、巷にあふれてる気がする。さっきも少し書いたけど、ぱっと思いつくのはXの炎上案件。上述の部屋に入らせてもらったエピソードに関する感想ひとつとっても、自己分析部分を取り除いて「ルール外なことがまかり通ってずるい!」みたいにお気持ち100%にしてX上に解き放てば、充分に炎上するポテンシャルを秘めてるんじゃないかな?
自分以外の存在をどうとらえるか
「著者には人間的魅力(社会資本)がある」と書いたことついて、別角度で表現すると「能動的に世界への参加を楽しんでいる」と言い換えられる気がする。「世界は自分の庭なんだから、そこで楽しむのは当然」みたいな。
これに対応させると、人間的魅力(社会資本)の(少)ないボクは、「受動的に参加させられた世界を、ルールを守ることで乗り切っている」って感じかな。あるいは「世界から振り落とされないようにルールに従ってる」とか、「ルールに守られて世界にいることを許されてる」とか。
すっごいネガティブだけど、書いててめちゃくちゃしっくりきてしまった。そしてこうやって言語化することでその認識が強まってしまい、ボクは一層愛嬌のある側から遠のくっていうね(笑)
これはボクの40年の人生で培われてきてしまった習性なので、たぶんもうどうしようもない。軌道修正しようとする方が逆にストレスでダメージになる気がする。というか少なくとも今のボクには修正する気がない。なのであきらめて受け入れましょう。
著者は正の螺旋、ボクは負とゼロの往復
「帰りの飛行機での心境の違い」に対しては、わかりやすく「(世界の一部としての)仕事と旅行に対するスタンスの違い」が表れていると思う。ボクのスタンスは「仕事→辛い現実、旅行→現実逃避」であるのに対し、著者は「仕事→次の旅行への待ち時間、旅行→人生の楽しみ」って感じなんじゃないかな?
ボクが日々の仕事で積み重なったマイナスを旅行でゼロに近づけていた*のに対して、著者は仕事はプラマイゼロで旅行がプラスって感じ。どちらも旅行中の傾きは正だけど、絶対値で見たらボクは永遠にプラスにならない(むしろ旅行で回復しきれずじわじわマイナスが大きくなっていく)のに対し、著者は旅行に行くたびにプラスが積み重なっていく、みたいな。
*ボクはリーマンを辞めたとともにトラベル(海外旅行)頻度もほぼゼロになったので、この例えは的を射ていると思う
こうやって書いてみると、負の連鎖を断ち切れたので、ますますボクは退職して正解だったな(自己正当化)。
魅力なき者にも、最低限の作法はある
好き勝手書いてきたけど、ボクが絶対に忘れてはいけないことがある。それは、著者のようなバイタリティや愛嬌のあるタイプの人に対してどう思うかは自由だけど、邪魔をしてはダメということ。「そういう人もいるよね」で済ませましょう>自分。
自分は自分、他人は他人。実害がない限り、お互いの存在、行為を許容して好きにすればいい。これが本来の意味での多様性ってやつかと。
ちなみに「孤独=悪」というメディアの刷り込み(=孤独を許容しないスタンス)に対してぶち切れている(誇張)のが、一つ前に読んだ「居場所がない」人たちの著者(感想)
仮に自分とは別のタイプの人たちを恨んで、彼らの足を引っ張る行為をしだしたら、それはボクがこうなったら終わりだと思っている「Xでダブルスタンダードなお気持ちとともに迷惑をばらまく輩」と同じになっちゃうからね。
経済的トリクルダウンは失敗したとボクは思っているけど、他者に対する攻撃性に関しては、幸せのトリクルダウンが成立すると思っている。自分の今が満たされていればわざわざ他人に攻撃したりしないはず。なので、退職しなかった世界線のボクは著者に対して攻撃的になっていたかもしれない。
そう考えるとやっぱりボクは退職して正解だったな。
もはやこれが言いたいだけ
余談:広義のタイトル詐欺じゃね?
以下、書かない方がいい(=書くとボクの評価が下がる)と思われる内容。
冒頭で「本書が既刊の文庫化だと気づかなかった」と書いたけど、その原因は、タイトルが変わっていたから。(装丁が変わってたことも理由の一つだけど、それは文庫化ではよくあることだと思っている)
「内容に即さないキャッチーなタイトルで買わせる」のが基本的なタイトル詐欺だとすれば、ボクが本書で体験したことは「同じ本を違うタイトル、違う形態で再販して、新作だと思わせて買わせる」というタイトル詐欺の応用といえるんじゃないかな?
まぁ文庫として出ている時点で、いわゆる「文庫落ち」を疑うべきだったとは思うけど、タイトルまで変えちゃうのは「客を騙して買わせようとしている」と思われても仕方ないとボクは思う。実際ボクはそこに「騙された」わけだし。
ひょっとしたら冒頭に既刊の文庫化&改題である旨が書かれていたかもしれないけど*、ボクはそれに気づかず、しばらく読んではじめて同じ本であることに気づいた。図書館本で金銭的ロスがなかったからいいものの、もしお金払って本書を買っていたら、それに対する恨みつらみだけで1記事書いてたと思う。まぁすでに1節は書いちゃってるんだけど…
*なお、本書のAmazon販売ページにはその旨が書かれていた
一応擁護?しておくと、文庫化によくあるように新規収録パートとして近況が1章追加されてはいる。ボクは前著出版以降の著者の近況が知りたかったので、その意味では需要を満たしてくれてはいた。
ただ、それでもやっぱり、「連載作品の単行本化で『書下ろし満載!』とかいいつつ実際は1ページだけ」みたいな拍子抜け感(騙された感)は否めない。
まとめ
- 「リーマントラベラー 週末だけで世界一周」を、図らずとも再読した
- 著者は「休養学」に書かれているお手本のような休養(=週末海外旅行)をしていると感じた
- 初読と再読の間に退職を挟んだことによる、自身の感想の変化がおもしろかった
- 著者と自分とで社会資本(人間的魅力)に差がありすぎて、参考にならないどころかネガティブな感情が湧くことさえあった(笑)
- とは言え他人は他人、自分は自分。自分のことを把握し、自分なりの幸せを追求しましょう
以上、
それでは~






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