売れる漫画の法則があるのではなく、
売れない漫画の法則がある。
後者を避けることで
売れる確率が上がる。
後者を避けるために
著者が実践していることは、、、
みたいなことを読み取った。
長年ヒット作を
世に送り出し続けている
著者が書いている
ということはもちろん、
「これは良くない」と
書かれている内容が
ボクが常々思っていたことと
重なっていたことも相まって、
内容に非常に説得力があった。
※「悪役の作り方」については触れません※
読了月:2026.1
本書の概要
現在世の中にある
大抵のもの(特に自然物)は、
環境に適応した結果
生き残ってきたものであり、
基本的になるべくして
その形をとっているといえる。
例:サボテンの細いトゲ、車の4つのタイヤ、等々
逆に言えば、
そこから外れると違和感を感じてしまう。
漫画もそれと同様、
すべての点において
「なるべくしてそうなった」と
感じられる統一感があるのが良い作品。
著者は
この統一感のことを
「融合」と表現している。
融合の対象は何かというと、
- キャラクター
- ストーリー
- 世界観
- テーマ
の4つ(=4大構造)。
これら個々については
前著で既に述べているらしいんだけど、
本書では
「悪役」にフォーカスして
別角度から改めて
この4大構造の融合(=漫画の作り方)
について書かれている感じ。
感想
本書は
漫画家の卵に向けられた側面が
強いんだけど、
ボクは漫画家を
目指しているわけではないので
その方面の内容及び感想は省略。
なのでタイトルにある「悪役の作り方」にも触れない
ここでは
「面白い漫画(フィクション)の条件」
という観点での感想を書いていく。
正確には「つまらないフィクションの特徴」
感想の概要
本書を読んだ直後に
某所に書いた感想は以下の通り。
ボクの思う「つまらない作品」の共通点が、「リアリティ―とファンタジーの線引き」「嘘くさい行動やセリフはないか?」の2節に集約されていた。
「設定上の嘘は作者が決めるけど、キャラは作者の思惑よりもその世界の常識を優先して動く」というルールから外れ、キャラが「読者に対するわかりやすさ」を優先して動いた途端、嘘っぽさが目立って作品を楽しむどころではなくなる。ボクにとって邦画全般がコレ。
たとえば小さい頃から「わかりやすさ重視」の作品に触れ続けてそれが当然だと感じる(というか何も感じない)人は、世の中に面白いと感じられる作品がたくさんあるのかな?
ボクはどういうわけかこの「わかりやすさとリアリティーのライン」がかなりリアル側にあるらしく、たとえば「死体を見つけて悲鳴を上げる」みたいなことですら違和感を覚えてしまい楽しめなくなる。
つまり、世の中に「絶対的駄作」は(滅多に)存在せず、ターゲット層は作品設計(=ライン引き)の時点で決まっていて、ボクはそのラインの外に位置することが多いので、つまらなく感じる作品が多いのかなぁ、と。
以下、
同じ内容を
文字数使って肉付けしつつ、
最後に
「つまらない作品の楽しみ方」
について追加している。
△成功法則に従う 〇失敗法則を避ける
自己啓発書に書かれている
「成功法則」のほとんどが
成功者の後出しジャンケンであり、
再現性が確認できない。
それと同様、
「面白い漫画の描き方」も
ヒット作を書いた人の
感想でしかないとボクは思っている。
成功法則が存在するならなぜサムライ8は、、、
現に著者も
ヒットするかしないかなんて、売れている漫画家が本当にわかって描いているかと言えば、そんなことないんじゃないかな……と、僕は思っています。
p.172
と書いている。
じゃあ本書も
後出しじゃんけんで
価値がないのか?というと
決してそんなことはない。
なぜなら
「失敗法則」が書かれており、
それを避けることで成功確率
(=ヒット作を書く確率)を
上げることができる(と思われる)から。
その失敗法則っていうのが、
ボクが常々感じている
「つまらない作品」を
見事に端的に表現していたので、
「やっぱ長期間ヒット作を
書き続ける人の言うことは
的を射ているな」と納得した次第。
ということで、
その失敗法則について書いていく。
感想というより、
著者の一部主張の言い換え
といった方が適切な気がする。
リアリティーとファンタジーのライン
いきなりだけど、
もうこれボクの代弁なんじゃね?
と思うくらい共感した部分を引用↓。
リアリティーとファンタジーのバランスをどこでとるかは、(中略)漫画家が決めるラインだと思います。p.54
作り手の都合でキャラクターを動かしているということがバレバレで、一気に観客はシラけてしまいます。p.82
嘘の世界とはいえ、だからこそ「こんなのあり得ない」と読者に思わせるようではいけません。p.83
基本的に「人に見せる」ことを
前提としたものは
すべて「リアル」ではない。
スタンドが存在するジョジョは
もちろんファンタジーだし、
そもそも漫画は
絵である以上リアルではない。
では実写はどうかというと、
役者が演技していればその時点で
ファンタジーだし、
ドキュメンタリーも
ノーカット無編集の
100%隠し撮りじゃない限り
リアルとは言えないんじゃないかな?
いや、
「カメラ撮影=世界の切り取り」
とみなせば、
これもリアルとは言えないか。
つまり
どうあがいても
リアルではないからこそ、
作者としては
リアリティーとファンタジーのラインを
どこに引くかが重要になってくる。
決めたラインからはみ出した途端、つまらなくなる
そこで役に立つのが
本書に書かれている
失敗するラインの引き方。
本書では、
「キャラを動かすときに
理にかなっていない間抜けな行動、
すなわち作り手の都合で
キャラを動かしていることが
バレバレな行動を
絶対に取らせてはいけない」
と書かれている。
具体例として、
階段から落ちた人に対して
「しっかりしろ!」と揺すったり
屋上で彼氏と一緒にいるときに
「あー気持ちいい」と
深呼吸する彼女などが挙げられている。
以上のことは、
ボクが常々思っていること(↓)と
全く同じことを言っていると思われ、
非常に共感した。
このような間抜けな行動を
作中のキャラクターにさせないことは
必ずしも
作品に面白さを与えることには
つながらないけど、
「つまらなさ」をなくすことには
めちゃくちゃ寄与すると思う。
余談①:リアリティーの実例
これに関しては、
ちょうど本書と同時期に読んでいた
橘玲のHACKの各キャラクターが
脚本通りに淡々と、
かといって
作者都合の不自然なことをせず
動いていたので
興醒めすることがなかった
というのが印象的だった。
「脚本に従いすぎ」といえなくもないけど、
それは著者の切り取り方の問題で、
少なくとも「その状況でそうはしないだろ!」的な
不自然な言動がなかった、ということ。
今思うと、
キャラが淡々と動きすぎなことに
リアリティーを感じられず
そこがマイナスになる人が
いるかもしれないな、とも思った。
そして
ちょっと極論だけど、
そういう人は
わかりやすいフィクション(後述)に
慣れてしまっているように
ボクには思える。
余談②:「リアリティーがない」けど敢えて演出に加えることもある
またまた余談だけど、
「本書でいうところの
『間抜けな行為』なんだけど、
わかりやすいから敢えて使う」
みたいなことが
この本(↓)では言及されていて
なかなか興味深かった。
なお、著者は「舞台演出家」
ファンタジー世界におけるリアリティーが最重要
話を戻す。
つまり、
読者をシラケさせないためには
作者が自ら線を引いて決めた
「ファンタジーの存在する世界」
の中でのリアルを描くということ。
- ワンピースは悪魔の実が存在するから、
- ハンターハンターは念能力が存在するから、
- ナルトはチャクラが存在するから、
- BLEACHは死神が存在するから
どれもリアリティーがなくてつまらない
のではなく、
それら
「ファンタジー要素のある世界」
の中でのリアルを描いている
(ように見える)から面白いということ。
どうすれば
リアルを描いているように見えるかは
「成功法則」の部類なので
ボクには書けないけど*、
「失敗法則」は先ほど書いた通り。
*ひとつは著者自身の「作品世界に対する解像度&想像力」だとは思う
また余談だけど、
ボクが在職時に
よく読んでいた「なろう系」は、
良くも悪くも「ファンタジー要素」が
半ばコモディティ化しているので
(いわゆるナーロッパってやつ)、
作者が意識しなくても
フォーマットに従うだけで
「失敗法則」(の一部)を避けられる点が
最低限の面白さ(というかつまらなさの回避)を
担保していたのかな、と。
リアリティーへの感度は鈍い方が楽しめる?
さっき
「理にかなってない間抜けな行動の例」
として
階段から落ちた人に対して
「しっかりしろ!」と揺すったり
屋上で彼氏と一緒にいるときに
「あー気持ちいい」と深呼吸する彼女
と書いたけど、
中にはこれら行為のどこが
間抜けなのかがわからない人も
いると思う。
そういう人は
ボクから言わせれば
リアリティーへの感度が鈍い人
なんだけど、
逆に言えば様々な作品を
雑念なしに楽しむことのできる人
ともいえる。
ボクは
実写邦画全般が
「いやそうはならんだろ!」の嵐で
純粋に楽しむことができないんだけど、
それでも実写邦画が
絶えず供給されているってことは、
この手の人が一定数いるってことかと。
当然
リアリティーのなさに違和感を感じつつも
それ以上の面白さがあることがわかっているから
観る人もかなりの数いるだろうけど、
ここでは極論を述べているのでそういった層は無視
つまり、
作品の設計時点で
この線引きによりターゲット層が
決められていて、
ボクはことごとく
その線の外側に位置するから
つまらない作品(主観)が多いんだろうな。
「リアリティーの無さ」を楽しむ?
そんなボクが
世に溢れかえっている
リアリティーのない作品(主観)を
楽しむために残された手段は、
「リアリティーのなさを楽しむ」
くらいかなぁ?
書いてて思い出したけど、
昔、海猿?っていう実写邦画で、
船が沈む?時に
男女が抱き合う?シーンを見て
日本人は感動してたのに対して
外国人は
「こいつらこんな時になにやってんだ?」
って笑ってたらしいんだけど、
この外国人が正に
リアリティーのなさを楽しんでたのかな、と。
×抱き合う 〇時間かけてプロポーズする
×笑う 〇爆笑する(ソース)
これも
ポジティブシンキングってやつか。
どうせ作品を見るなら、
リアリティーの無さに対して
ダメ出しするんじゃなくて
いっそのこと
それ自体を楽しんでしまう方が
たしかに健全?な気がしなくもない。
って感じで
苦手な実写邦画の楽しみ方の
方針が見えたことは良かったんだけど、
別に実写邦画を
見なければならない機会なんかないので、
敢えて見る必要はないんだよなぁ。
ちなみに今はちいかわが気になってる。
アマプラでそのうち配信されないかな?
まとめ
- 「荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方」を読んだ
- 「作品でやってはいけないこと」に共感した
- 作品である以上、嘘が含まれるのは必然
- 著者が作った嘘の世界の中でのリアリティーが大事
- そのリアリティーから逸脱すると途端につまらなくなる
- ただ、何をリアリティーと感じるかは人それぞれ
- ボクはリアリティー判定が平均より厳しいっぽい
- だから実写邦画全般が面白いと思えない
- そういう場合は、リアリティーの無さを楽しむのがいいかも
以上、
それでは~





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