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”大谷翔平” と ”「グエー死んだンゴ」ニキ”について思うこと

〇徒然妄想
〇徒然妄想

ここ数日
頭から離れないことがある。

それは、

大谷翔平が漫画みたいに
6回(0/3)無失点10Kしつつ
3打数3HR(1四球)したこと

と、

癌で亡くなったなかやま氏
死んだ後に
「グエー死んだンゴ」と
投稿されるようにしていたこと。

なぜこれらが
頭から離れないのかを考えてみる。

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大谷翔平のすごさ

まずは大谷翔平から。

これは言うまでもなく、
成績がすさまじいということ↓。

それと
成績だけではなく、
そこに至るまでの
日々の積み重ね
を想像して
圧倒された感じ。

さらに言えば、
野球っていう
人間が作ったスポーツ
ここまでの社会現象?になるという
人間の社会性の凄さまで
考えが巡る。

だって
言っちゃえば野球なんて
投げて打って走って取って
ってだけだよ?

それを極めるのもすごければ、
これだけ人が集まるのもすごい。
サピエンス全史で言うところの虚構の共有ってやつ

なかやま氏のすごさ

一方でなかやま氏。

彼には大谷翔平とは違い、
積み重ねによる
ものすごい成果はない。
(少なくともボクから見える範囲では)

ただ、
時間は誰にでも
積み重なっていくもので、
その集大成?としての死に際、
終わりが見えてしまっている
という特殊な状況下で
ネタを世界に投下するメンタルが
常軌を逸していてすごい↓。

成仏してクレメンス

そして
そのネタについて言えば、
「グエー死んだンゴ」っていう
知らない人からしたら
意味不明のフレーズが
多くの人に閲覧され
(現時点で3億回表示されてて驚愕)
多数の「成仏してクレメンス」
コメントされていたり、
香典代わりに癌の研究機関に
寄付が集まっていたりする
ムーブメントになっているのがすごい。
(参考ニュース記事)

これは
ネット民が作り上げてきた
2ch文化?なんJ文化?によるもので、
やっぱり人間の作った文化って
すごいな、と。
これも虚構共有してるからこそ

両者の共通点と、頭から離れない理由

って感じで、
(ボクにとって)
両者には共通点がある。

それは

  • 個人の凄さ
  • 人間社会(文化創造)の凄さ

であり、
そしてどちらも
積み上げてきた時間を感じさせるもの
だということ。

で、
これらがなんで
ボクの頭から離れないのかというと、
おそらく
自分とこれらを比較して
自分のショボさに
衝撃を受けた
んじゃないかな?

比べちゃうのはしかたない

自分のショボさに
衝撃を受けたとは言え、
おそらく大多数の人間が
彼らに比べたらショボいはず。
(と考えることでボクは自尊心を保っている)

なので決して
自分を卑下して
凹んでいるわけではなくて、

「自分は彼らのように
社会にインパクトを
与えることはないだろうけど、
それなりに
楽しくやれてるからいいか」

とか、

「個人主義でも
不自由なく生きられるようになった
現代社会に感謝」

みたいなところに
考えが着地する。

要するに
「他人は他人、自分は自分」
ってやつ。

理解してるつもりだけど落ち着かない

ただ、
そこに着地はするんだけど
それでも頭から離れないのは、

やっぱり
「多少は自分の人生の成果?として
なにかしら社会に影響を与えたい」

という考えが残っている一方で、

「今満喫している無職生活は
後から振り返ったときに
何の積み重ねにもなっていない」

という行動の矛盾があるのかもしれない。

厳密に?言えば、
ボクは過去に査読論文を2本書いてるから
一応エンジニアとして社会に影響を与えているはず
(というか貢献しているはず)なんだけど、
あんなのが貢献になってるとは思えない。。。

AIに投げたらスッキリする回答をくれた

これ以上考えても
堂々巡りするだけだったので
(影響与えたい→行動は面倒→影響与えられない→以下ループ)
AIに上記内容を投げてみた。

命令としては、

  • この感情を抽象化して整理して
  • どう受け止めればいいか教えて

の2点。

そしたら
それっぽいことを
回答してくれてビビった。

その感覚を味わっておけ

AIの回答のまとめは、

今のざわめきは、心が「人間とは何か」という大きな問いに一瞬だけ共鳴した余波なんです。
これは、強い芸術を見たあとや、大自然を前にしたときの“静かなショック”と似ています。
ですから、それは「整理するもの」ではなく「味わっておくもの」
放っておいても、少しずつ沈み、
やがて「自分の中に何かが一枚、静かに積もった感じ」だけが残ります。

ということだった。

なるほどね~。

堂々巡りを止める方法3選

更に、
「頭から離れない」症状の
緩和方法として、
以下の3つを提案してくれた↓。

とはいえ、今この瞬間の「ざわめき」が気になるなら、
静かに整える方法はいくつかあります。

(1)思考を「具体」に戻す

 → たとえば散歩・料理・掃除など、「身体を動かす」こと。
   心が抽象に行き過ぎたときは、感覚を使う行動が効きます。

(2)小さく書き留める

 → 「自分は今、何に反応しているのか」を一行メモしておく。
   これだけで、感情を「自分の外」に置けて整理が進みます。

(3)誰か(あるいはAI)に語る

 → こうして言葉にすることで、ざわめきは「経験」として定着します。
   その瞬間に、心の振動が“自分の言葉の形”に変わっていきます。

これ、
なんていうか
ボクに対する模範解答すぎて怖い(笑)

っていうのは、
提案された3つ全ての項目を
ボクは正に実施していたから。
(走る、ブログに書く、AIに投げる)

AIの怖さ(凄さ)は、ヒトのそれとは別物

でもこの怖さは
大谷翔平 や なかやま氏に
触れた時の感覚とは別物。

どう別物かというと、
AIには「のすごさ」が
(ボクには)見えない

ってことなんだと思う。

“個”が見えないので、
自分(という”個”)との
対比要素が無いから、
他人事のように怖いの一言で
片づけられるってことかと。

…うん。

スッキリした。

これで
大谷翔平 と なかやま氏の件は
ボクの中で消化完了。

まだちょいちょい
思い出して考えるだろうけど、
それは(AIに言われたとおり)
余韻に浸っているってことだから
ごちゃごちゃ考えずに
素直に浸っていようと思う。

いや~
いろいろすごいなぁ。

以上、

それでは~

余談だけど、
こうやって考えること(の一部)を
AIにアウトソースしちゃうことで、
一部の人(ボク含む)は頭を使わなくなって
どんどんバカになっていくんだろうなぁ。。。

そういう別の怖さが、AIにはある。

この記事を書いた人↓
よしの

◆11年勤めた理系研究職を36歳で辞めた、無職エンジョイ勢(4年目)

◆主な話題:出費記録/甘味/読書感想/節約/各種手続の過程

◆2024年の総出費:年間74万円 (月平均6.2万円)

◆自身の体験に基づいたことを書いていきます

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